1923年9月1日は神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したM7.9の大規模地震があった日です。
そのため、今日を日本では防災の日とし、この日に起こった関東大震災を忘れることなく震災に備えようと、1960年制定されました。


この地震での被害拡大にはいろいろあります。

1.地震発生後の建物崩壊または半壊などで建物の下敷きになった。
2.相模湾沖のため、津波被害。
3.発生時間が11時58分32秒で、昼時だったために起こった火災旋風。

などがあります。


1.について
地震により被害が出た建物(全壊・半壊・焼失等)は約37万以上とされ、住居の下敷きになって死亡または行方不明者は約1万程とされています。


2.について
津波に関しては被害は出ていますが、大きな被害は出てはいなかったようです。
ただし、被害が少ないとは言え、熱海市で6m、洲崎 8m、神奈川県三浦 6m、鎌倉市由比ケ浜で300人余が行方不明になるという被害は出ていたと言われています。
そう考えると津波の被害は昨年3月に起こった東日本大震災の方が圧倒的に被害が大きいものだったと言えるかもしれません。


3.について
実は地震で一番怖いのがこの火災旋風です。
関東大震災の時はちょうど昼時ということで、家庭では昼食の準備が始まっていたため、各家で火を使っていたため、被害が大きくなりました。
また、当時の建物は木造建築だったため、よく燃えます。
実はこの火災旋風が起こってから完全鎮火まで丸2日かかったと言われていて、神奈川県、東京府(東京都)だけで9万人以上が亡くなりました。
この地震の死者は約10万5千人と言われていますので、約9割程が火災でなくなっていることになります。

ここで出てきた火災旋風とは何ぞやという人もいるかもしれないので簡単に説明しておきます。

火というのは酸素がなければ燃えません。
つまり火がつくということはそこでは酸素が消費されることを意味します。
ではこの火が1つではなくいくつもの場所で同時に大きな火災が起こったらどうなるのかというと、火災が起こっていないところの酸素が火災の起こっているところに流れ込んできます。
そうなると大気の循環が起こり、局地的な上昇気流が発生します。
そしてこれに乗って火災は他の所に飛び散り、さらに被害が拡大して行きます。
この火災旋風を利用したのが東京大空襲で、この時も火災により被害が拡大したと言われています。


また、この震災で報道手段も麻痺し、震災の混乱で各地で噂やデマが多発します。
例えば


『東京全域が壊滅・水没』
『津波が赤城山麓(群馬県中央部周辺)にまで到達』
『伊豆半島や三浦半島の陥没』


などです。
また、当時日本の植民地であった『朝鮮人が暴徒化し、井戸に毒を入れ、放火して回っている』という噂も流れました。
そのため、多くの朝鮮人が無実の罪を着せられ殺害されます。
そして、陸軍では震災後の混乱に乗じて社会主義や自由主義の指導者を殺害する動きが起こり、大杉栄・伊藤野枝らが殺される甘粕事件や労働運動の指導者であった平澤計七等が亀戸警察署で銃殺される亀戸事件なども起こりました。


昔から『地震雷火事親父』と言いますが、こう考えると『火事地震雷親父』という順番の方がいいような気もしますけどね(笑)
この親父ってもともとは大山風(おおやまじ)がなまったものみたいで今で言う台風のことみたいですね。


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