イエズス会1534年8月15日イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の6人の同志が設立しました。その同志の中には日本にキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルがいます。
彼らは清貧・貞潔の誓いとともに


『エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能なら教皇の望むところへどこでもゆく』


という誓いを立てました。


イエズス会は設立当初から世界各地での宣教活動を重視し、優秀な宣教師たちを派遣していました。
フランシスコ・ザビエルはにしインド植民地の高級官吏たちの霊的指導者になってほしいというポルトガル王の要請にしたがって1541年にインドのゴアへ赴きます。
彼はインドで多くの信徒を獲得し、マラッカで出会ったヤジロー資料上確かな最初の日本人キリスト教徒)という日本人から日本とその文化に興味を覚え1549年に鹿児島に上陸します。
実はザビエルが現在の鹿児島市祇園之洲街に上陸した日は8月15日です。
つまりイエズス会が設立されてから丁度15年後ということになります。
意外にすごい偶然ですよね(;^_^A
1552年12月2日フランシスコ・ザビエルが死没してからは、ルイス・フロイス等が日本で布教活動を続け、フロイスは尾張の戦国大名織田信長と深い関係を築き布教されていきます。


しかし、後の天下人豊臣秀吉スペイン・ポルトガルによる日本征服の第一歩ではないかと疑いをかけ、1587年7月24日バテレン追放令を公布しキリスト教を禁止しました。
このバテレン追放令は秀吉が九州討伐の際、キリスト教徒の激しい抵抗により、織田信長が以前一向一揆に手を焼いたのと同じように将来手を焼くのではないかと思い、これを行ったとも言われています。
そして最終的には徳川幕府により、日本国内でキリスト教は完全に禁止され、日本からキリシタンは表向きはいなくなったと言われています。


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