今日7月29日は日清戦争において最初の主要な陸戦である成歓の戦いが起こった日です。


7月25日に朝鮮政府から日本に対して、牙山の清軍撃退を要請され豊島沖海戦(日清戦争の嚆矢となった戦い)にて清軍を破りました。
7月26日に大島義昌少将率いる混成第9旅団に朝鮮政府からの要請を伝達しました。
日本軍は牙城に篭る清軍を攻撃するため28日に出発をしました。

29日午前3時20分、松崎直臣が戦死し(日清戦争で日本側初の戦死者)、他に数名が死傷しました(安城の渡りの戦い)。
そして午前8時30分に大島義昌は成歓を制圧しました。

その後大島義昌は牙山へ向け出発をしましたが、現地に着いたとき清軍は敗走をしていたと言われています。


この3日後の8月1日両国は正式に宣戦布告をします。


なお、安城の渡の戦いで歩兵第21連隊の木口小平二等卒は死んでも口からラッパを離さず(初めは白神 源次郎だと思われていましたが、後年木口小平に書き換えられました)、吹き続けたという逸話が残り、明治35年以降の小学校の修身書に


キグチコヘイハ テキノ タマニ
アタリマシタガ、 シンデモ ラッパヲ
クチカラ ハナシマセンデシタ


と載りました。


また、この逸話は後に正露丸のラッパのマークの由来にもなっています。
話はちょっと脱線しますが、正露丸の名前の由来は日露戦争がこの10年後に起こるのですが、当時衛生状態が悪かった海外で、よく日本兵達はお腹を下していました。
その時持って行っていたものがこの正露丸で、日露戦争時名称が『正露丸』→『征露丸』に変わりました。
露(露西亜…ロシア)を征服するとのことでこの名称になりました。
太平洋戦争終結後、征の字が好ましくないということで正露丸に戻りました。


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