今日7月14日は1789年フランス革命の発端バスティーユ襲撃、日本では1853年黒船を率いて来航した米国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが久里浜に上陸をした日です。


フランスではこのバスティーユ襲撃からフランス革命が勃発し、10年後の1799年11月9日のブリュメール18日のクーデターで終焉します。
フランス革命により、王政と身分制度が崩壊し、封建的諸特権は撤廃され、近代的所有権が確立します。
フランス革命が生んだ理念(自由・平等・友愛(博愛))と諸制度は、現代社会にも多大な影響を残します(海王星のリング・アークでも出てきます)。
フランスの国旗もこのフランス革命を記念して作られたものですし、この日をフランス建国記念日とされています。
ただし、フランスの建国記念日はバスティーユ襲撃を記念しているわけではなく、1790年7月14日ルイ16世が憲法への忠誠を誓ったことに対しての記念日です。
そして1880年から祝日となりました(日本ではパリ祭として馴染みがあります)。


一方日本では1853年7月14日日本史において重要な出来事が起こります。
当時日本は鎖国をしていたため、ほかの国の船を停泊させる事はさせませんでした。
しかし、米国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが久里浜に来航し、開国を促します(当時は久里浜の港は砂浜で黒船が停泊できなかったことから、幕府は江戸湾浦賀に誘導します)。

日本では主に、この事件から明治維新までを『幕末』と呼んでいます


当時の日本ではロシア海軍やイギリス海軍の帆船とは違い、黒塗りの船体の外輪船は帆以外に外輪と蒸気機関でも航行し、帆船を1艦ずつ曳航しながら煙突からはもうもうと煙を上げていた。
この様子から、日本人は『黒船』と呼んでいました。
また、アメリカ独立記念日の祝砲や、号令や合図を目的として、湾内で数十発の空砲を発射した。
この件は事前に通告があったため、町民にその旨のお触れも出てはいたのだが、最初の砲撃によって江戸は大混乱となったが、やがて空砲だとわかると、町民は砲撃音が響くたびに、花火の感覚で喜んでいたようです。
浦賀は見物人でいっぱいになりましたが、幕府から十分に警戒するようにとのお触れがでると、実弾砲撃の噂とともに、不安が広がっていき、この時の様子を


『泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず』


という狂歌が読まれました。
上喜撰とは緑茶の銘柄で、


『上喜撰の茶を四杯飲んだだけだが(カフェインの作用により)夜眠れなくなる』


という表向きの意味と、


『わずか四杯(船を1杯2杯とも数える)の異国からの蒸気船(上喜撰)のために国内が騒乱し、夜も眠れないでいる』


という意味をかけて揶揄している。

そして米国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至りました。