スタジオライフのイベント「切手のいらないラブレター~愛のお茶会」に行ってきました。
タイトルからして怪しい(笑)。
初めての試みのようで、回替わりでメンバーが違う2人トークショーでした。
私が行った回は当然ながら本命の芳樹さんと笠原さんご出演の回。

場所は表参道にあるアイビーホール。
青山学院大学に併設しているホールで普段は主に結婚式で使われているようです。
11時開場、11時半開演。
地元でもこの時間きついのに、私はいつ起きればいいのやら(答・5時半でした)。
初めての場所なので迷わないといいなと心配していましたが迷う暇などない!という程わかりやすいところで良かった。

会場に入ると八木澤くんがお出迎え。
座席は事前に届いたハガキに記載されている番号に。
その際、先にコーヒーか紅茶か○印をつけるように指示があったので合理的だなと思っていましたが、係の人が直接「コーヒーですか?紅茶ですか?」と聞きにきていた。
意味なかった(笑)。
座席には先にケーキが用意されていて、アンケート用紙とフライヤーの上に何やら不思議なものが。



2人の写真入りのビスコだった(笑)!
なんなんだ、これは?
そして置かれているカードを開くと・・・



2人の顔写真入り。
なんなんだ、これは(再び)?

そっか、これ結婚式だったのか。

ビスコが引き出物だったのか(笑)。
で、ケーキは先にテーブルに置かれているんだけれど、食べるタイミングがわからず。
始まる前に食べて落ち着きたかったけれど誰も食べてなかったからどうしていいやらわからんかった(笑)。

前置き長くなりましたが、ほぼ時間通りにお二人登場。
芳樹さんがギターを持ってきたので歌もあるのかな?と期待。

イベントの流れとしては

○生まれてから入団前までのお互いのプロフィールを読み上げ。
○そのプロフィールに基づいてのトーク
○「東北近畿」ミニライブ
○フォトセッション
○入団してからについてのトーク
○お互いへのお手紙朗読
○詩の朗読

式次第でした(笑)。
ミニライブが余興でフォトセッションがキャンドルサービスですかね。

まず最初にお互いのプロフィール読み上げですが、笠原さんが芳樹さんの生まれ年まで読み上げる痛恨のミス(笑)。
いや、知ってたけど。
本当はその部分は19××年と読まないといけないという指示があったそうですが、そのまま読んじゃった。
「皆さんの記憶から消してください」ということですが「20××年(一応伏字。××は同じ数字です)生まれですから」は記憶に残していいのでしょうか(爆)。
19才で上京して今23才らしいですよ。
「時の流れ遅っ!」とつっこまれてたが。
芳樹さんはちゃんと笠原さんの生年月日19××年と読んでました、言っても良かったのに(笑)。

芳樹さんは生まれた時から可愛い子だったそうです、自分で言ってた(笑)。
自分で言うかーと笠原さんがつっこんでしまいたが、生まれた時に「なんて可愛い子なんだ」とみんなに言われていたとお母さんがおっしゃっていたそうです。
笠原さんは妹さんも芳樹さんに良く似ていて可愛いと言ってましたが否定しなかった(笑)。
子供の頃は活発で勉強も出来てスポーツも出来て委員長も児童会(この「児童会」という言葉がなかなか出てこなかった)の副会長もやってたくらいの人気者。
今のような斜に構えた感じじゃなかったとこれも自分で言ってた(自覚あるのかw)。
時々自慢話入っているよね、とも笠原さんつっこみw
卒業式には制服のすべてのボタンがなくなっていたというくらい。
「今もこういう習慣あるんでしょうか?」「あるんですかね」。時代ですね(笑)。

スポーツは野球が好きで野球チームに入っていたそう。
ライトで8番、左利きだから内野手はできなかったとのことで。
器械体操も少しやっていたそうです、でもバック転はできないってどういう体操なんだろう(笑)?
野球に夢中になっていたのになぜかサッカーチームからスカウトがきたそう。
でもその頃はサッカーは全然人気がなかったから興味なかったけれど、小学5年生の時にキャプテン翼が流行ったのであっさりサッカーへ転身。
いや、そのキャプテン翼のくだりで年バレバレですけれど(笑)。

芳樹さんがとても饒舌だったので笠原さんに「そろそろ僕の話もしていいかな」と何度も止められていた(笑)。

その笠原さんはお兄さんが年子の三男坊。
「男三人ってこと?」「・・・三男だからね」という謎な会話あり(笑)。
お兄さん達とは年がすごく離れていたのでパシリにされていたそう。
家では軍鶏を飼っていて、お兄さんたちに卵を取ってこいと取りに行かされたが、鶏より凶暴なのでお尻つつかれたりとかして大変だったとのこと。
「だから鶏肉嫌いになったのかな?」
ここで笠原さんが鶏肉嫌いな理由が明らかに(笑)。
また、女の子を待望されていたからか、髪を長くさせられて赤い服を着させられていて女の子のようだった。
これが今に活かされているのかとも(笑)。
リカちゃん人形が欲しいといって買ってもらったこともあるらしい。
洗脳されていたのかなとも(笑)。
「でも立派に男らしくなって」という芳樹さん。


笠原さんも野球をやっていて8番でライト。
いちばんできないポジションと自虐的(笑)。
でも今はあのイチローがライトですからね、とフォロー。
野球を断念した理由は目が悪くなったからということ。
「その頃パソコンとかスマホとかなかったのになんで目が悪くなったの?」と聞く芳樹さんに「本を読んでいたからかな」と笠原さん。
たくさん本読みましたコンクールみたいなのでは優勝したらしいですし、図書委員もやっていたとのこと。
そこで会場の雰囲気が「図書委員と言えば・・・」となったため、「土曜の午後は図書の整理がありますから!」シャールさん降臨(笑)。
子供の頃はいたずらっ子でよく友達を川に落としていたとのこと。
芳樹さんもいたずらをよくしていたがここでは言えないということ。
言えないほどのいたずらって怖いんですけど(笑)。

芳樹さんは中学時代から新聞配達をやっていたそう。
別に家が貧乏だからというわけではなく、流行っていたからだそうです。
なんと3社掛け持ちでやっていてその頃UFOを目撃したそう。
どうやらそれから宇宙人のようになったようだ(違)。
「MU」にも同じような写真が載っていたのでいるんだ、って。信じる信じないではなくているんだそう(笑)。
そして何かが出そうなところが配達地域にあったらしくて友達に付き添ってもらいながら行ったことがあるとのこと。
「友達にはバイト代入らないんでしょう?」「うん」。
「うん」って(笑)。
しばらくして、その友達が「女の子が立っている」と言い出したらしい。
「付き添い頼む友達選ぶの失敗したと思いました、そいつは(幽霊が)見えるやつだった・・・。失敗したー」 というわけでそこの配達地域だった会社分は辞めちゃったらしい(笑)。
平成になる時も新聞配達していたらしいですよ、だから年がバレるから(笑)。

笠原さんは工業高校に入ったのですが、もう典型的な不良だらけ。
笠原さんの世代だと校内暴力が流行っていた世代ですよね。
先輩たちが後輩の教室に来て殴りに来たりするからなんちゅう学校に入ってしまったんだと後悔したようです。
挨拶しないとまた殴られるし。

芳樹さんは塾にも通っていっぱい勉強して私立の学校を目指してそこには落ちたけれど滑り止めの公立の進学校に
入るも、突然勉強が嫌になったらしい。
そして突然学校をやめると言い出して家中大騒ぎになり、大阪にいるおじいさんもやってきてみんな説得するも
言い出したら聞かない芳樹さん本当にやめちゃったそう。
学校辞めた後友達と夜遊びまわったりして過ごしていたけれど、やはりこのままじゃいけないと思い直し再度高校を受験することに。
それでも同じ高校には入りたくないので他の高校を志望。
ただ、兵庫県の受験システムって変わっていて、その学校ごとに受験するのではなく地域ごとに受験、
志望校は決められるけれども必ずしもそこの高校に入れるとは限らず別の高校に割り振りされることもあるそう。
逆にいうと高校受験で落ちる人はほとんどいないというシステムでそれを初めて知った時は変わっているなあって思ったものでした。
で、そんな芳樹さんは違う高校を志望していたのに前と同じ高校に割り振られたw
「あいつとあの先生とあの先生にはめられたー」と言ってました(笑)。
そんなわけで同じ高校に再入学するはめに。
同い年が1つ先輩で、後輩たちが同級生に。
同じ中学だった後輩たちは同級生になっても「芳樹さん」と呼び、先輩になった同級生は芳樹さんのクラスに遊びに来たりして
あいつはなんなんだと一目置かれた存在になったとのこと。
「留学(留年の言い間違いだろう)した人もいないからね」という芳樹さんはリアルオスカーだったそうです。
しかもだるいからと2限目、3限目から出てくるのがしょっちゅうだったので「部長出勤」と言われていたそう(笑)。
自分が校庭横切って教室まで歩いているのを上からみんなが見ていたってまさにリアルヤンキーやん。
「それって今と変わらないじゃん、若ちゃんも芳樹さんそろそろ集まっていただいてもいいですか?って困ってるじゃん」
「そっか」。
自覚なかったようですw

で、やっぱりところどころで「そろそろ僕の話もいいかな」と笠原さん(笑)。
高校時代に15cm伸びた話をしようとした笠原さんでしたが、中学1年で140cmだったのが1年で10cm伸び、2年で160cm、卒業する頃は170cmと30cm伸びたという話を芳樹さんがしてしまったため、話つぶされちゃっているしw

で、部活の話で笠原さんが電子科学部という非常に工業高校らしいクラブに入っていたそうで、
「それって原発?」という芳樹さんの質問がわけわからんかった。
といっても特に笠原さんもどんな活動していたか言ってなかったから幽霊部員だったんだろう(笑)。
芳樹さんはフォークギター部で何か1つクラブに入っていないといけないからということで入っていたそう。

そこからかな、音楽の話になったのは。
芳樹さんはやっぱり長渕で、この前の富士山ライブはアドルフの大阪とかぶっていたから行けなかったと残念がっていました。
曽世さんも長渕好きなので「海司と富士山爆発するんじゃないかなって話してた」とのこと。
世代だな(笑)。
このへんだったかな、この曲が流行ったのはこの時期とか話していて笠原さんが芳樹さんと同年代アピールするも、「いや、(実年令は言えなくても笠原さんの方が)ちょっと上だというのは言ってもいいと思う」と拒否する芳樹さん(笑)。
まあ、笠原さんも「いつまで年隠せばいいんですかね」と言ってたんだから言ってしまってもいいと思うんですけどね、知ってるしw
その笠原さんは同じ宮城ということでハウンドドッグだなあって。
そんなわけでせっかくそこにギターがあるからと(いや、持ってきてたし)ミニライブ。
笠原さんサングラスしてやる気満載!
ユニット名は東方神起に対抗して「東北近畿」(笑)。
笠原さんは東方神起の1人に似ていると言われることがあるらしいですが詳しくないので似ているかどうかわからん。
東北近畿は東北から近畿まで全国ツアーしたいらしいですよ、大千秋楽は尼崎で(笑)。
でも雪月花を超えないといけないからって。
CDデビューもしているしね、ってなってなぜか「関戸ーーーー」と叫ぶ芳樹さん。
なぜに関戸さんだけ(笑)。
でも今度のスリーメンでは同じチームだから仲良くしないとと笠原さん。
ちょこちょこスリーメン見に来てねと営業していた笠原さん(笑)。
でも今回パシリが2人いるからねという親分たちw
東方神起に対抗してということだからダンスも頑張らなきゃという芳樹さんに笠原さん「それは無理」。


で、そのミニライブはVo.笠原さん、G.芳樹さんでハウンドドッグの「涙のBirthday」。
芳樹さんコーラスに入るかと思ったらギター専念だった。
笠原さん歌頑張ってた。
「これからは歌で生きていきます」と歌い終わってからの笠原さん。
うん、お芝居で頑張ってください(笑)。

フォトセッションがこれまでの間にあったんだけどどこあたりか覚えてない。
なんか唐突に始まったんで。
テーブルは3列あって1列ごとにステージ前に集まって撮影できたんですが、もう悲しいくらいにへたくそでろくな写真ありません(笑)。
短時間だから焦るってのもありますね、慣れてないですし。

トークの続きは入団してから。
笠原さんは1992年の入団。芳樹さんとの出会いは芳樹さんがライフとは別団体の影絵劇団「竹とんぼ」で全国を回っていた頃事務所であったかなとのこと。
笠原さんが入った頃は小劇場人気全盛期だったのかな、劇場がいっぱいですごい人気だったのがいつの間にか先輩たちがみんなやめてしまって
ほとんどいなくなってしまってお客さんも減ってという状態になっていたそうです。
その頃、芳樹さんが客演で初めてライフの舞台に立ったのが1995年の「THE PLAYBOY OF THE WESTERN WORLD」。
震災の年だったかな、と言ってましたが今公式で確認しましたが確かに1995年2月でした。
そしてJr.1が入って「トーマ~」を上演して、と今に続くわけですね。

その「トーマの心臓」の話。
おそらく何百回語っているであろう伝説の出トチ事件。
初めて生で聴けましたが、やっぱり面白かった(ご本人たちにとっては面白いどころではなかっただろうがw)。
「ここにいらしている方は100%この前のトーマをご覧になっているかと思いますのでシーンについて詳しくは説明しませんが」
と前置きな芳樹さん。
そりゃこんな濃いお茶会に来ている人みんな観ているわな(笑)。
といってもちゃんと説明はしてくれました。
「鞭事件(と呼んでいた。ブッシュ先生がエーリクに鞭ふるおうとしてかばったユーリが怪我するところ)」の後、図書室で佇んでいるユーリがトーマの幻影を見てしまうところにエーリクが謝ろうとしてやってくるというシーン。
そこでユーリが立っていないといけないところにユーリがいない。
そのユーリは何をしていたかというと楽屋にいた(笑)。
そして、エーリク(その時のエーリクが玉城さん)がひたすら「ユーリユーリ」と探す、リアルに探すw
「いいわけさせてください」と芳樹さん。
袖に入って次の衣装の準備とかが他の役者さんが手伝ってくれるのだが、鞭事件のシーンが終わった後次の準備をしてくれたので出番がないと勘違いしたらしい。
次はお茶会のシーンと勘違いしてこのシーンが頭からとんでしまったらしいです。
で、モニターからは「ユーリユーリ」と自分を呼んでいる声がしてなんでだろう?と思って考えて「あーーーーーー!!!」と気づく。
急いで走って舞台に戻ると袖では笠原さんや石飛さんがこっちこっちとぐるぐる腕を回して誘導してくれたと(笑)。
なんとか戻ってきて舞台を続けたけれど、エーリクに謝られても「玉城、ごめん」、「君を殺す!」というシーンでは「俺を殺してくれ!」という心の葛藤がありながらwww
そしてトーマの幻影ではなく仁王立ちする倉田さんの姿が見えたそうです(爆)。
とにかくこのシーン以降の記憶がないそうです。
その当時、お偉いさんの接待などで連日飲みに行っててその日も後ろについて歩いていたら「あら、芳樹くん。いたの?疲れてるだろうから帰ったら」と倉田さんに帰らされたとか(笑)。
「それ、いちばん怖い時の倉田さんだよ」と笠原さんw
笠原さんもちょこちょこ出トチしたことはあるけれど、「これに比べたら可愛いもんですよ」とも。
確かにこれは強烈すぎる、なので私も知ってるんだけど。
でもご本人がその時のことを再現というのを生で観られたのがいちばん面白かった(笑)。

色々相手役やWキャストや同一人物など演じたね、という話。
(これは最後のお手紙コーナーでもあったけれど)。
「ヴェニスに死す」では同一人物を演じたという話。
観てみたいけれど再演するのは難しそうですね。
タジオ役が誰がいいか思いつかない。
笠原さんはアッシェンバッハで芳樹さんはアッシェンバッハの影であるアッシェンバッハダッシュという原作にはないオリジナルの役。
「その時はいつもよっちゃんに怒られてばかりいる役だった」という笠原さんに適当に怒鳴りつけるような感じでがーがーわーわーとしゃべる芳樹さん。
「台詞覚えてないんかーい」覚えてなかったみたいです(笑)。
「あの曽世海司が台詞一言だけでしたから」と笠原さん。
それは事件だ(笑)。
Jr.2がデビューした頃の作品だね、とそこは覚えていた芳樹さんでした。

また、「ヴェニスに死す」では緊張やプレッシャーからか本当に食べ物が喉を通らず57Kgまで痩せてしまったという笠原さん。
それを見た倉田さんは「ちょうどいいわね」と喜んでいたそうですが(笑)。
心配した浦さんが「スタミナつけるために」とおごってくれたのがカツ丼。
「いちばん食べたくなーい」と笠原さんつらかったそうです(笑)。
芳樹さんはそんな笠原さんを見て「こときれるシーンがリアルだったよね」と言ってました。

お互いへのお手紙コーナー。

切手のいらないラブレターのコーナーです。
ここもまた結婚式みたいなんだが(笑)、このイベントのタイトルにもありますね。
笠原さんからで続いて芳樹さんだったのですが、
笠原さんはちゃんと便箋に3枚くらいしたためてきていたのに、芳樹さんそのお手紙の内容を踏まえてのほぼアドリブ(笑)。
だからこの順番だったのか。
「短いからね」と前置きしていたのでおそらく最後の方は書いてきた部分なんだろうけど、笠原さんが思ったより長く書いていたので無理やり伸ばしたとみたw

で、そのお手紙の内容は先程まで語っていたこととほぼかぶるというか。
気がつけば長い付き合いとなった、相手役やWキャストや親友、親子、同一人物など色んな役を演じてきた。
久しぶりにオスカーを演じて最初はできるかと思ったが(階段ダッシュもつらかったそうな)、
ずっとユーリのよっちゃんがいたからできた。
よっちゃんはあと30年くらいユーリができるよって。
芳樹さん、いくつになるんだよー、あっ今23だからまだ還暦じゃないよね(笑)。
最初に出会った時は角刈りだったそうですwww
でも笠原さんも角刈りだったって。本人たち曰く流行っていたそうです・・・どこで(笑)?
お互いについては笠原さんは芳樹さんの不思議なオーラ、芳樹さんは笠原さんの大らかで誰にも慕われるところは持っていないから尊敬しているということを語っていたかな。
基本的に笠原さんのお手紙に芳樹さんがのっかる感じでした(ほぼ即興だから)。

最後に詩の朗読。
ちょうど自分たちにぴったりの詩がありましたということで茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩。
芳樹さんのギターをバックに2人で朗読されていました。
この最初の「ぱさぱさに乾いてゆく心を人のせいにするな」というフレーズが非常に頭に残っていて読んだことのある詩だなと思っていたのですがどこで読んだのか、教科書なのか。
自分の花は自分で育てないと・・・突き刺さるいい詩を選ばれたなと思いました。

お茶会は予定通り1時間半で終了。
物販は八木澤くん1人で対応していました。
後ろで石飛さんが音響をされていましたが、誰よりも二人のトークにうけていた(笑)。

感想としては初めての試みでしかもこの回が初回だったため手探り感はありましたが楽しかった。
ご本人たちもこうやって2人きりでトークというのは初めてだったので楽しまれていたように感じました。
とにかくマイペースで自由な2人なのでどうなのかと思いましたが、芳樹さんの方がかなり自由だった(笑)。
笠原さんは一応進行具合とか気にしながらやってましたし、多分相手が芳樹さんだから自分が仕切らなきゃというのも見えたw
芳樹さんがこんなに饒舌だったのは笠原さんの包容力からかもしれないとも思いました。
芳樹さんの話の方が1.5倍あったんじゃないかと、もっとあったかな。
お兄さんと弟のようでもあり、つっこみとボケのようでもありました(笑)。
なかなかこれだけ自分についての話をするという機会もそうはないでしょうし、どうやら付き合い長くてもお互い初めて聞く話もあったみたい。
色んな組み合わせでも見てみたいな。

しかし、私はこのためだけに行ったんですけど、何か(笑)?

その後ノープランだったので上野でカラバッジョ展とボッティチェリ展のハシゴ。
ボッティチェリ展はギリギリ間に合った。
桜も愛でることが出来ましたし、花見気分も少し味わえました。

おしまい。


おまけ。

本当にへたくそで申し訳ありませんがこんな感じでした、フォトセッション。