前回書きましたが80歳越えて癌の手術は必要ですか?

現在、元の生活になど戻れる訳もなく

2020年10月癌の手術後は認知症を発症し要支援2になりました。

お風呂は毎日入りたい人でしたから炊いてあげました。

しかし必要以上に高温で温めの連打、父しかいないのにガス代1万円越え、その上胃の回復が悪かったため10月31日再入院しました。

極度の便秘で3日に1度は病院の救急外来で摘便してもらいました。

そんな生活が12月末まで続きました。

私が死にそうでした。不整脈を抑える薬が手放せなくなりました。


お正月は形だけでしたが美味しそうにお酒を飲みました。

あの顔は一生忘れられません。

父が1番嬉しそうでした。

悪夢は1月3日にやってきました。

別の部屋にいると父から電話がかかってきました。

「転んじゃったから見てくれる?血が出てるだよ。」

おでこと手の甲から血が出てしかも止まらない~

血液サラサラの薬を飲んでいるので止まるわけが無い。

ドラッグストアで大きな絆創膏を買っきて貼りました。

そしてケアマネに連絡しました。

すぐに認知症専門病院へ入院が決まりました。

2020年7月

父の癌が見つかった。

レベルは1程度。

割腹しなくて済むし元の生活に戻れますよ。

と簡単にA澤病院のT医院長は言った。

父は手術を嫌がった。

少し認知も出ていたので心配だったが手術を勧めた。

私の母は30年前に全身に癌が転移してモルヒネの量が多過ぎたため脳が肥大化して『痛い!痛い!』を連発しながら、父が病院へ来るのを待っていたかのように父の顔を見て亡くなった。

そんな母を見ているから尚更レベル1で見つかったのなら長生きして欲しかった。

父は82歳になっていた。

8月に検査、10月に手術が決まった。心の隅っこにS大附属病院でセカンドオピニオンしてもらった方がいいんじゃないかな?って思って父に話した。

A病院の方が家から近いからここでいいよ。

と言われた。

手術の前日から入院。

不安そうな顔、そして家から何日も離れる不安だろうか?とても父が小さく見えた。



翌日叔母と私が待合室で父の手術が終わるのを待った。

手術は無事に終わり、麻酔が覚めた父が出てきた瞬間『お父さん、全部採れたって、良かったね。』と声をかけた。

父から返ってきた返事は『はい。お陰まで…』という言葉だった。

私は内心(しまった!認知が進んだかも…)と思った。

コロナの影響もあり洗濯物を取りに行く以外全く父には会えなかった。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

続きは次回にいたします。


従兄弟の子供が産まれるので帽子とbabyshoesを編んでみました✨
かわいいね❤
作っている私もほっこりしちゃいますね❗


5年の経過観察を経て4カ月検診が1年検診になりました。

癌の検診のみになります。

何度かhcgの値が上がりましたが、【次に検査すると下がるんですけどね】これがあり1年伸びました。

長い5年でした。

最後の課題、マカロンミロワールが完成です。
ものすごく悩んだ作品です!

素敵な写真を撮ったつもりでしたが本部ブログでは変なん画像に修正されていました。
写真は大切な表現方法だとは思いますが、作品が良くできているかなどの評価は一回もしてはいただけませんでした。
マカロンにシワがよらないように作っても、綺麗に仕上げるようにいくつか工夫をしても、写真の撮り方や小物のことばかりしかられることが多く、私は何を習っているのかな?と思うことがたびたびありました。