「今日はハズレくじだったねえー」

と鼻の頭のてっぺんをピカピカにテカらせた山田さんが  開口一番に言った

「佐藤さんってば最悪  すごく口が臭いの  やたら顔を近づけるから気持ち悪くて」 

と萩野さん 

「マジー!?  安田さんは頭が油でギトギトだったよね  てっぺん禿げてるくせに  無理にバーコード頭にするからさあ、、、」

と髪の毛の薄い最年長の花岡さんが  仕切りに耳たぶを触りながら言った

「そうそう!  鈴木さんはアレ  絶対マザコン  やめた方がいいよ」

と  お局の山中さん

某大手印刷会社の男5人と  私たち某建設会社の秘書課の女5人で  合コンをした帰り道でした  彼女たちは口々に男たちをバカにし笑い転げました  私は  あなたがたに他人のことを言えたものか  と思い  黙ってシラけていました  私はただ単に  ハーフのようなこのルックスを理由に  時々  合コンの数合わせに使われるのです  でも合コンで彼氏などできたことなど一度もありませんし  作る気もないのですけれど

渋谷の本社で働いていた頃は  秘書課のチーフでした  その矢先  秩父支社への異動となりました  大きなプロジェクトを任され本社採用から  秩父支社に来ている私は  秘書課では浮いています  ルックスのせいもあるのかもしれません  私は別段そんなことは気にしておりません  プロジェクトが完成すれば本社に戻るのですから  田舎に友人など作るつもりはハナからないのです  まあ  私はからすれば周囲は無能な “現地人” とでも言いましょうか

そういえば  あの合コンの帰り道  誰もカエデさんの名前をあげなかったんです  なんだか それが不思議でした  話題が一つくらいあってもいいはずなのに、、、

カエデさんはとても美しい彫刻のような深い堀の顔立ちでした  肌は浅黒くダイバーのようで  深い緑色のビー玉みたいな瞳をしていました  合コンのあいだ  カエデさんは終始  話すことはなく  黙ってジンウォッカをザルのように飲んでいました  時折  「なあカエデ!」  と話を振られて  微笑むだけでした  そのとき  カエデさんという名前なのだなと思いました  

特別  気に留めていたわけではありませんでしたが  私は自然とカエデさんを観察していました  カエデさんは不思議な雰囲気の持ち主でした  長いまつげがやけに目立つのか印象的  カエデさんは合コンの二次会を  用事があるので  とおっしゃり帰ることになりました  帰り際  カエデさんは私のポケットにサッと何かを入れると  知らんぷりで駅に向かって帰って行きました  きっと彼も数合わせだったんだな  と思いました

私は少しだけドキっとしながら  いつものことかと思い  その紙をトイレで破り捨ててしまいました  乱雑に書かれた携帯番号  男って本当に勝手な生き物だなって思いました  男なんて下半身でしかモノを考えられない獣です  汚らわしい  まあ  何事もなく二次会のカラオケへと行ったわけです  そして適当に歌って盛り上げて  終電で池袋のマンションに帰りました

池袋まで来ると心底ホッとしました  池袋にマンションにを買ったのは  渋谷の本社に近いし  秩父支社へも一本だからという理由でした  私はスリランカから取り寄せたお紅茶(これを飲んだらそこらの紅茶は飲めません)が今朝  届いたので早速  淹れました  はあ 私は深いため息をつきました  ドッと疲れが出ました  田舎は密度が高くて  私には息苦しいのです  自然の濃度が濃いのです  スリランカのお紅茶は  身体の芯から温まり  とてもリラックスして  私はベランダのカウチで  そのまま  眠ってしまった  ぬるい五月の風が気持ちよかった


その翌日  私は会社がお休みで  近所の国立公園へ行きました  雲一つ無い五月晴れ  公園は新緑に囲まれた小さな森のようでした  手入れが行き届いた国立公園は  とても清潔でした  空気がおいしいんです  草いきれで  むせかえるような緑  私はシンと心が落ち着きました

公園の中ほどで  あいてるベンチを探していたら  なんとあの彼  つまりカエデさんがいたのです  驚きました  カエデさんはベンチで本を読んでいました  本のタイトルは『宇宙の成り立ち』という大それたものでした

「こんにちは、、、先日はどうも お隣いいかしら?」

と私が声をかけると  カエデさんは驚いた風でもなくゆっくり顔をあげると  待っていたよ  というような目をするのです  あのビー玉みたいな瞳で

「どうぞ 座って  確か  金龍山さんだよね  変わった苗字だから覚えてる  電話くれなかったね」

「失礼します  ごめんなさい、、、二次会のカラオケで  なくしてしまって」

とっさに小さな嘘をついてしまった  本当はトイレで破り捨てた

「ねえ  合コンて楽しい?」

「え?」

突然の質問に  すぐには答えられませんでした  考えたことがなかったのです  いや  あえて考えていなかったのかもしれません  言葉をよく吟味した挙句

「私は  まったく好きではありません」

と正直に答えると  彼は黙って頷きました  カエデさんも合コンがまるで好きではないのだなと思いました

「ハーフなの?」

よく聞かれる質問です  もう慣れました  ストレートだなと思いました  でも  カエデさんのそれはむしろ清々しいのでした  私は純日本人ですが  両親の世間離れしたルックスの遺伝によって  私はよく  ハーフ?なの  って聞かれます  色素が薄いのです  髪の毛は栗毛色で縦カール  肌が北欧系的な白さでシミ一つなく  いわゆるモデル体型なのでした  邪魔臭いだけのムダに長い手足  やたら高い身長に細長い身体  そして淡い茶色の目  どれもこれも日本人離れしておりました  いつかだか  喫茶店のレジの列で「あら  あいのこ」とオバサンに言われたときには  さすがに面食らいました

「いえ  私は日本人です  父も母も純日本人で九州の生まれです  私も九州の熊本で生まれました」

「とても流暢な日本語だね  綺麗だ  もっと堂々としたら?」

思わず何を言われたのか分からなかった  もっと堂々としたら?  必死に考えました  今  カエデさんはとても大事なことを言っているぞ  考えることだけが  私と現実を繋ぎ止めていました  えっと  アイデンティティの定義とは?  何だ  考えろ  考えることが私を私たらしめている  かつては心理職を目指したじゃないか  さあ  アイデンティティの定義とは?

 自己が環境や時間の変化にかかわらず  連続する同一のものであること  主体性  自己同一性  「―の喪失」
 本人にまちがいないこと  また身分証明

おお  すごいぞサユリ  よく分かってるじゃないか  私には考える力がある  大丈夫  私はココにいていいのだ  なぜか  そう確信しました

私は  このハーフのようなルックスが嫌いでした  自分が  無意識のうちに他人からの差別意識を感じて生きてきたことに気がついたのです  それはとても孤独で寂しいことなんだと認めることができずにいました

でもカエデさんは  スカッと  もっと堂々としたら?  と言うのです  私は自分を恥じました  私は日本人として生まれ  日本で育ったのです  れっきとした日本人なのです  もっと堂々として何が悪いのでしょうか?  なんだかとても励まされたのでした  どうしてこんなに簡単なことに  気がつかなかったのでしょう

「カエデさんは『宇宙の成り立ち』という本を読まれているんですね  何が書かれた本なのですか?」

カエデさんは顎に手をつけると  斜め上を見上げました    ウィーン  って検索エンジンみたいな音が聞こえてきそうで  この人Macみたいだなって思いました  カエデさんは機械みたいに動くので気待ちが良かった  癖なんだなと思いました  しばらくして

「うーん  一言では説明できないけれど “なぜ生きるのか?” という問いを  宇宙スケールで語った壮大なテーマの本なのです  僕はこういうことを考えるのが好きなんです  宇宙のこととか死生観とか」

驚きました  人は見た目によらないな  というか  自分の他者への差別心に気がついたのです  人は見た目によらないんですよね  私はそのことをよく知っているはずなのに

「なぜ生きるのか、、、スケールの大きなテーマですね  それで答えは見つかったんですか?」

カエデさんは  なんと不毛な疑問を抱くのだ  と正直に思いましたが  私は意に反して猛烈に知りたかったのです  なぜ生きるのか?  の答えを  今まで探していた私の答えを教えて欲しかった  私もその問いを独りで抱えてきた  辛かった

そして直感的に  なぜ生きるのか?  の答えを理解できそうな予感がしたのです  彼は言いました

「僕たちは肉体という制限と  知覚できる範囲内の世界だけで生きています  それはとても狭い世界です  例えばコップ一杯の海水を見ながら海について語るようなものです  コップ一杯の海水で  「海は案外と大きいんですよ」  と海の概念を海を知らない人に  説明するのは無理です  でも  そこを超越したときに人は  自分の過去世  つまりすべての生まれ変わり死に変わりを見るそうですよ  そして宇宙が生まれては消滅することも何度も見て  万物は無常なのだと心から理解する  そして  そのとき  誠の慈悲の心が湧くのだそうです  いわゆる “悟り” ですね 無我の状態  それを解脱とも呼びます  僕は解脱のために生きるのだと思います  死んで後  涅槃に入りたいんだよね」

「解脱??  よく聞く言葉ですが  概念としてはよく分かりません  頭や言葉で説明のつかない  お話ですね」

「そうですね  解脱や涅槃は体験しかできません  考えることではなく実践することなんです  “今” に気づく  これがどれほど難しいか  しかし僕は挑戦します  生きているうちに解脱  すなわち生まれ変わり死に変わりの苦しみから抜けたいのです」

「生きることは  大前提としてすべてが苦ですよね  それは真理だと私は思っています  その負のスパイラルから抜けることが解脱と考えて良いのでしょうか?  ならば私は大歓迎です」

「僕は  二十代の前半から終わりまでインドでバックパッカーをしていたんです  日本を離れ一人になりたかった  実を言えばインドで死のうかと考えていたんです  日本での現実生活はあまりにも苦しい  耐えられなくなってしまったんです  このままでは心のダムが決壊してしまう  発狂してしまう  臨界点に達した僕は  いつのまにかインドに旅に出ていました」

「なぜインドに?」

「分かりません  気づいたらインドにいたんです  ガンジス川のほとりでボーッとしていました  淡い夕暮れ時  近くの集落で修行僧が亡くなったんです  そして火葬をしていました  大きな材木の上に遺体を乗せて  遺体は布に巻かれ油が塗ってある  そしてまず身体から燃やすんです  燃えるとね  ツンと沈香のような香りがしてね  最初は嫌なんだけど  案外と人の燃える香りって人に馴染むらしいです  DNAの中に刷り込まれた香りらしく」

「確かに  私の妹は腐った  ひどい状態の遺体で発見されました  いわゆる腐乱死体です  血糊には蛆が沸いていて  ピチピチ動いてるんです  あのマグロの血合いのような香り  強烈に臭くて二度と嗅ぎたくないなって思うんですけど  なんとなく懐かしくて  また嗅ぎたいなって思うんです  私は変でしょうか?」

「変じゃないよ  むしろ正常すぎて異常だ   あはは あ  ごめん  妹さん亡くしてるんだよね  いつ頃?」

「妹は私の二つ下で  妹は十八歳で高校を卒業すると  突然に行方をくらましました   もちろん捜索願いを出しました  町を上げて県警も総出で妹を探しました  しかし皆様の努力は報われず その半年後に腐乱死体で見つかりました  緩慢な自殺というか餓死というか  死因はよく分からないんですけど  一応  死亡診断書は心筋梗塞です  こういうパターンのときは心筋梗塞なのだそうです  こ綺麗な2LDKのアパートのキッチンに  仰向けで腕枕をしたような姿勢で亡くなっていました  あれを見たときに私は思いました  人が死に捕まるのか?  人が死を掴むのか?  とずっと考えてきました  そして答えの出ないまま今日まで来てしまったのです」

「妹さんもハーフみたいなの?」

「妹は  私より見た目がハーフの子でした まさに  あいのこ  です  妹は繊細な子で  心の電圧というのでしょうか  その電圧を限りなく落として生きていました  心のブラインドを閉じ他人の侵入を避けて  なんとか棲息している感じでした  私たちは見た目のせいで  他人の無意識下の差別心を読み取ることに敏感でした  妹はそのことに耐えられなかったんだと思います」

「僕からしたら  あなたも相当  心の電圧を限りなく落としているように見えるけど?

ドキッとした  そうなんだろうか?  自分で自分のことはわからない  そもそも  なんで私はこの赤の他人に  妹のことを話しているのでしょうか  こんなこと初めてでした  私は妹の死に納得していませんでした  考えるだけで苦しくて苦しくてたまらないのです  誰にも話したことはなかった

「さっきの続きなんだけどね  ガンジス川のほとりで見たんだ  火葬が済んだ遺体の骨を  坊さんが箸でバーッとガンジス川に流して葬儀は終わり  あっさりとしたものなんだよ  見慣れると当たり前の風景  日本って尊厳  尊厳って言うけれど  インドでは尊厳死なんて概念自体がない  死んだら  あっけなく燃やして骨は川に流して終わり  インドはカースト制度だけど  無常という考えは当たり前なんだ  僕はアレを初めて見たときに  心からホッとした  ああ  これほどに人間は自由なのだ  と」

と彼は  あの深い緑色のビー玉みたいな瞳で  伏し目がちに言った  私は聞きました

「以前  「インドで人間の死体を喰らう犬 」 の写真を見ました  あの有名な写真です  それを見たとき  最初は強い拒絶感を感じました  でもそのあと  私も心からホッとしたんです  人間は犬に喰らわれるほどに自由なのだな  と思ったらスッと肩の荷が下りたんです  それと同じ感じでしょうか?」

「きっと  そうだね  死は変化の通過点だと僕は思ってる  一切は無常だからね  なにも恐れることはないし 死は忌まわしいものではないんですよ  むしろ  お疲れ様でした  と僕は亡くなる方に言いたいですよ」

私は妹のことを思った  妹は  お疲れ様  だったのだろうか?  あれが天寿の姿なのか?  妹は涅槃に入れたのだろうか?  人の死に様は様々だし  やがては私も死ぬのだな  ということが明確に分かったら  私は妹の死に納得するんだろうか?

カエデさんがボソッと呟いた

「初めて金龍山さんのことを見たときに  僕は何故か初めて会った気がしなかった  前にも会ったことがあるような気がした  これは口説き文句とかじゃないよ  本当にそう思った」

なんと答えて良いか分からず黙っていた

「僕の前だけでいいからさ  心の電圧  上げなよ  ブラインドもいらない  本当の君を見てみたい」

本当の私?  私は私だけれど、、、いいえ 私はずっと “良い子  エリート” を演じてきました  本当は東京大学英文学科なんか行きたくなかったのです  私はフラワーアレンジメントが大好きでした  花が好きなんです  家系の事情で  無理と分かりながら心密かにフラワーアレンジメントを生業として生きることを夢見ていました  花言葉が好きなんです  知らない花はほとんどありません  見つかっていない花以外は  そう  私は花オタクなのです

どうしてかしら  私は泣いていました  親の敷いたレールに黙って乗っかって生きてきたことや  成績トップの座に君臨することで  親に理知的な良い娘だと  誇示することをアイデンティティとしてきました  なんと虚しい人生でしょう  もう取り返しのつかないことをしてしまったのでしょうか  私は嗚咽を漏らしました

「悟る瞬間は一瞬なんです  年齢は関係ありません  死ぬ間際に悟る人もいるんです  妹さんはきっと  天界に生まれ変わったのだと思いますよ  それか涅槃に入られた  大丈夫  自分の妹でしょう  信じてあげてください」

私は  真っ白な多幸感や満足感だけの世界をイメージした  こんな世界に妹はいるのでしょうか?  これが天界?  ならばよかった  本当によかった  私は泣いて泣いて泣きじゃくった  そして  強い光に向かって解き放たれた  妹が笑顔で手を振っている

「お姉ちゃん  カエデさんと  うまくやるんだよ」

「え?!  マリ?  マリ?

声はもう聞こえない  確かに妹の声だったはずなのに  コレを遺言というのだろうか  カエデさんにも聞こえていたんだろうか?

「妹さんの遺言  なんだったの?」

え?

「内緒です」

私は耳が熱くなるのを感じた

「この際だから教えてよ」

珍しく引き下がるカエデさん

「イヤです」

「昼ごはん  まだでしょ?」