すっかり寒くなった十二月も半ば。街はイルミネーションで輝き、ショーウィンドウの中のマネキンは真っ白なファーコートを着て、中は赤を主体に煌びやかに着飾っていた。サンタクロースをイメージしてのことか、クリスマスって赤のイメージが強い。そして、師走でもあり年末でもある十二月。イベント盛りだくさんである。
高3のクリスマス。私は美容院にいた。とりわけ過ごす相手もいないし、なにしろクリスマスってなんなの?って思ってたから、どーでもよかった。今でもどーでもいいんだけど。で、今年は歯医者の予定を入れている。別にクリスチャンじゃないからとかじゃなくて、単純にどーでもよかったんだ。
私は長いこと宗教に苦しめられたクチの人間だ。おかげで親を憎んだし、父の死後、宗教にのめり込む兄の理解に苦しんだ。これは「宗教に家族で入っている」という特殊な環境なので分かりにくいと思う。実に悩ましいことなのだ。そして四年前。私は事実上、宗教をやめさせてもらう。
クリスマスの飾り付けを一度だけしたことがある。小2の冬。父が大きなリースを買ってくれた。私は、色んな飾りを手作りして居間の壁を飾り立てた。みんながとてもビックリしたけれど褒めてくれた。そして、よく覚えている。あの年はホワイトクリスマスだったのだ。雪がハラハラと舞い落ちる、なんだか胸のキュンとするクリスマスだった。
私のうちはクリスチャンじゃないけど、毎年クリスマスケーキを買って食べた。父はイベントごとが好きだったのだ。クリスマスケーキは父の死後も続いた。春は花見、夏は海、秋は紅葉、冬はクリスマスに大晦日にお正月。特に父がこだわったのは花見だった。家族全員で『昭和の森』に毎年行った。バトミントンをしたりキャッチボールをしたりしながら、家族で桜を愛でた。父はこう言った。
「花見に行かない男はろくでもない」
笑ってしまうが、父は真剣に言うのだった。そして、私の男性を見る目は花見で決まった。おかしなもんである。子供は潜在的に好きな親と似た人を探すのだろうか?と思う。
私が高1の春。嫁いだ姉の家族と私たち家族で昭和の森に花見に行った。しかしながら、皆がギクシャクして会話も弾まない、料理も美味しくない。嫁いだ姉はもはや私たち家族ではなかった。そのことが私たちを少し悲しくさせていたのだろう。うまく姉の家族と馴染めなかったし、母と姉は昔から折り合いが悪かったため、嫁いだ姉に母は厳しかった。それを最後に姉の家族と花見をすることはなかった。
父は私が高1の時から単身赴任だった。会社から島流しをされたのだ。なぜ島流しかと言うと、父の酒乱の後輩が、会社に来ないことを父はずっと擁護してきたのに、あるとき、その人は我が家の宗教をネタに裏切った。父は、そもそもから宗教を理由に会社から煙たがられていたのだが、そこへきて後輩からの裏切り。会社としては待ってました!とばかりに父をなんにもない田舎へと単身赴任を命じた。父の荷物整理に行った時、私は胸が苦しくてたまらないほど、あまりにも部屋が閑散としていたことをよく覚えている。切なかった。寂しさを隠せない部屋だった。
父の単身赴任、三年目。父は激しい腹痛を訴えて車で飛ばして帰ってくる。B型肝炎と肝硬変の併発による末期ガンだった。B型肝炎というのは治療法が無いと言われている。そして、五十歳前後で亡くなるのだ。そういう運命の病を父が抱えていたことは、誰も知らなかった。母子感染だったから、生まれる際に産道を通る時に母親から血液感染したのだ。父は余命宣告三ヶ月のところ四ヶ月生きてくれた。享年 四十九歳だった。
私は高3の春から秋まで父の看病をし続け四年制大学を断念する。勉強の暇が無かったし、なにしろ一家の大黒柱が死んだのだ。資金が無かった。仕方のないことだったが、不本意ながら近場の短大の国文科に入っても四月半ばで退学してしまった。父は私のことを母の親友に託したのだと後から聞いた。
「夢希丸をよろしく頼みます」
父は自分の死を悟っていた。そして、安らかに死の向こう側へ行った。
死の向こう側。それはどこか?よく知らない。知らないけど死後の世界がないのなら、そんなの虚しすぎる。それでは中途半端すぎる。そんなムダなことを、この緻密で精妙な世界が企てるわけがない。こんな複雑な生態系と存在同士の無量の繋がりを実現した「世界」が死で持ってすべてを終わらせるなど、ありえない。死後はきっとある。そう思ったほうがすべてに合点がいく。死後を想定しないと、辻褄が合わない感じ。
だから祖先たちは「たましい」というパラレルな概念を作り出したのだろう。でも私たちは、それを見失ってしまった。人権だとか、愛だとか、平和だとか、そんな概念は簡単に信じてしまう。でも、たましいという概念は「証明できないから」といって否定してしまった。妙な話。どれも概念にすぎないのに。
概念とは、私たちのイマジネーションでありビジョン。そしてコンセプト。実体はない。でも必要なもの。たましいは最も古い概念の一つ。愛や平和より、はるか昔に生まれてきたもの。そのようなコンセプトを、なぜ私たちは葬ってしまったのか?
「たましい」というコンセプトを取り戻そう。
信じる信じないではない。
これはコンセプト。
人権や平等や自由や愛や平和と同じように概念であり実体はない、最も古いビジョンなのだ。
ありふれた十二月だけど、毎年ソワソワする。クリスマス、私もショーウィンドウのマネキンみたいな格好で街を歩いてみたいと書いててちょっと思った。
フワフワのファーコートは気持ちがいいんだろうな。
まるで世界に抱きとめられたような、そんな心地なんだろうか?