1.
「では、これですべての調査のほうを終了させていただきます。」
「はい、本当に助かりました。ありがとうございます。また何かあったらお願いしますね。」
そう言うと、そのご婦人は笑顔でその場を後にした。
「よし、浮気調査終了っと!」
ふうっとため息をつくと、この探偵事務所の所長・市川俊介は椅子に腰を掛けた。
「おつかれさまっす。やっぱり浮気調査はむずかしいっすね。」
そんな所長にお茶を出しながら、ねぎらう青年は沢田哲夫。この事務所の見習い(ほぼ雑用)である。
「そうなんだよー、ったく今回は奥さんの勘違いでよかったけど、これが本当に浮気だった時がきっついからな。」
「そうっすよね。勉強になります。でも本当に勘違いでよかったです。忙しいのも奥さんに旅行をプレゼントするために内緒で残業増やしていただけだったし。」
「だな。まったくいい旦那さんだったよ。でもあんまり浮気調査はやりたくないよな。」
「そんなこと言ってもらってばかりでは困るんだけど。」
そう言って、ドアのところには経理の井原啓之が立っていた。
「お、ひろ、おかえり~、どうだった?」
「まぁ、反応は上々ってところかな。あとは結果待ち。」
ひろは外回りをして仕事を取ってくるのを最近中心にしていた。
この事務所は本当に小さい。正規の従業員2名とバイトの1名でやっていくのが精一杯。
浮気調査はもちろん、家出相談、迷い犬の捜索、本当に何でも屋状態だった。
最近ひろの外回りの成果もあって、小さい企業からだがいい仕事もまわるってくるようになった。
それでも、従業員がここをやめようとしないのは、この所長の人柄と熱意のためだった。
「まったくここの所長はのんきなんだから。仕事を選り好みできる状態じゃないのは承知でしょ?」
所長であるシュンにここまで言えるのは、幼馴染のひろぐらいであろう。
「わかってるって。一件一件ありがたーくやらせてもらってます。」
「本当にわかってるんだか。」
ひろはそう言ってため息をついた。
「大丈夫ですって、ひろ先輩。シュン先輩はなんだかんだ言っても仕事はいつも真剣に楽しくやってますから。」
てつはひろにお茶を出しながらシュンをフォローした。
「まぁ、そうでなかったらとっくにこんな事務所やめてるって。」
そういうとひろはうっすらと笑った。
てつはこの二人の先輩にとにかく憧れていた。
自分よりも2つ上の二人は大学の先輩で同じバスケサークルに所属していた。
コンビネーションもばっちりの二人は試合の中でも常に輝いていて、男女問わず憧れの的だった。
特にシュンは容姿もいいので、恋心を抱く女の子は非常に多かった。しかし、当の本人は恋愛云々にあんまり興味がなく、何人もの女の子が涙を流した。
てつはそんなシュンにとても可愛がられていた後輩で、卒業後、ひろと探偵事務所を立ち上げるというのを誰よりも先に教えてくれた。
てつはそんな二人にさらに憧れ、自分から弟子にしてくれと頼みこんだ。給料はそんなに払えないといわれたが、それでも二人を助けられるなら構わなかった。
実際に始めてみると、本当に仕事がなく、3人とも他のバイトと掛け持ちしないとやっていけなかった。てつは大学もあったので、本当に毎日があわただしい。
でも、初めて仕事をこなした時のあの喜びは忘れられず、てつ自身もいつかは探偵にと思うようになっていた。
「そういえば、てつ、お前が言ってた、友達の友達ってどうなった?」
お茶をすすりながら、シュンはてつに尋ねた。
先日友人からそのまた友人について相談をされたてつは、一度事務所にきてみたらどうかと持ちかけたのだった。
「あ、はい。昨日メールで、明日にでも事務所に当人と来れそうだって言ってました。」
「そうか、しかしいったい何の相談なんだ?」
「それは自分にも詳しくは。ただ、その友人はいろいろと大変らしいです。」
てつの友人はてつが探偵事務所でバイトしていると聞いて相談をしてきた。しかし困っている当人は諦めてしまっているので、探偵事務所に行くこと自体躊躇しているようだった。
「しかし、お前の友人って大学生なんだろ?金のほうとかは大丈夫なのか?」
さすが、鬼経理のひろ。その辺の心配も忘れない。
「ああ、その辺は大丈夫だと思いますよ。俺の友人ってのが金がある家なんで。」
「お前、そんな友達がいたのか。」
いったいどこでそんな家の出の人と知り合いになったのだろう。
「まぁ、てつの友人でましてや学生さんからそんなに取れないさ。とりあえず、どうするかは明日の話を聞いてからだな。」
シュンは完全に楽観的に考えている。
「まったくお前は気楽なんだから。」
ひろはそんな所長にため息をつきながらも、少し笑いながら自分の本来の仕事に取り掛かり始めた。
(ひろ先輩はそんなシュン先輩だから一緒にやってるんだろうな。素直じゃないんだから。)
二人の様子を見ながらたまっていたてつは今日片付いた案件の整理を始めた。
この時はまだ誰も気づいていなかった。
明日やってくるその人物がこの事務所とこのお気楽所長の今後を大きく変えていくことになることを・・・。