10年以上前に母が言っていた。
「あなたの仕事(ピアノ教室の先生)なら
結婚して旦那さんに稼いで貰って
自宅で趣味で教室開くのが一番良いのにね」
同じ頃大学時代からの友人も
こんな事を言っていた。
「早く結婚したいな~
旦那さんが働いて私は自宅でピアノ教室開きたい」
それを聞いた私の反応は
「はぁ!?
人生ナメ過ぎ!!
そんなの世間が許さないだろ!!」
だった
もちろん心の中でとどめておいたけどさ笑
特に母からは
「自分で働け!自分で稼げ!頼るな!甘えるな!」
「お金は“ある”だなんて勘違いするな!」
みたいな事を高校生の頃から
事ある毎にしつこくネチネチ言われていたので
「何ふざけた事言ってんだク◯ババ◯」
って思うくらいムカついた
その教育のお陰で
「全部自分でやる事が正解」
「全部自分でやらなくてはいけない」
「困っても人を頼ってはいけない」
という強烈な思い込みが
私の中にこびりついていた訳だけど。
こと【お金】に関しては特に強くて
・旦那さんの稼ぎを頼りにする
・趣味で働く
みたいな事は許せないしあり得なかった。
ここで言う「趣味」は私の解釈で「本気じゃない」という意味。
「へぇ~そういう考えの人もいるんだ~
でも私は自分で稼ぐ方が好みだな♡」
っていう視点で選ぶならいいけど
「そんなの世間が許さねぇ!!!!
私はそんな甘ったれた人生を歩むものか!!!!」
ここで言う「世間」だって本当は「私」なんだけどね。
私が私に許してないだけ。
っていう
二択の端っこ立った場所から
反対側を否定するような視点で選んでいたから
いーーーっつもソワソワして
いーーーっつも何かと闘っていた。
***
だけどそんな私は今
昔の私が絶っっっ対に許せなかった人生を歩んでいる
気が付くと
結婚して旦那さんに稼いで貰って
自宅で趣味のようにピアノ教室を開いていた
私にとっては今の状況は
「働いている」という感覚があまりにも無さ過ぎて
「こんなんでお金貰っていいの?」って思ってるから
敢えて「趣味のように」っていう表現を使う
そして昨日は平日に宝塚観劇して
こーんな可愛い空間で可愛いお菓子とお茶を頂いて
1日遊び倒して大満足の最後は
駅まで旦那さんが車で迎えに来てくれたんだけど
旦那さんは1日働いて
私は1日遊んでたのに
私が「楽しかったー♡」って言って
ニコニコしてると
「よかったねーー!!」
「ゆきこはお金使ってばっかだね」
「ゆきこは遊び放題でやりたい放題だね」
ってセリフを
とても楽しそうに言っていた
こんな生活許されるんだ?
前はこんな事言う人じゃなかったのに!!
って
私の方が戸惑っている。
だって昔の私は
・旦那さんが働いてるのに自分は遊んでる
・旦那さんに稼いで貰って自分は趣味で仕事してる
そんな生き方を否定していたから。
だけど
「そんなの世間が許さねぇ!!!!
私はそんな甘ったれた人生を歩むものか!!!!」
って否定したくなる事は
本当は私が望んでいる事だった。
本当にやりたい方を選べていれば
反対側にいる人を見ても
「へぇ~そういう考えの人もいるんだ~
でも私はこっちの方が好みだな♡」
って思って終わりなはずだもの。
否定する気にならないはずだもの。
否定したくなるって事は
許せていないって事。
相手じゃなくて自分を。
「本当はこうしたい」と願う事を
自分に許せていないだけ。
願ってよかったんだね~
願うだけならタダだし!笑
オマケに『自分と繋がった願い』はちゃんと叶った
別に毎日がこんな煌びやかな訳ではないけれど
確実に私は望み通りの『体感の良さ』を感じながら
とっても幸せに過ごしている
本当に欲しかったのはこっち
世間が許さなくても私が許していれば
勝手に幸せになる