11/28・29の2日間は、
アルケミメンバーで京都・奈良旅行でした
めちゃくちゃ楽しかったよーーー
1日目はざっくりこんな感じの流れでした♡
もうね、京都は『科捜研の女』でよく聞く地名ばっかりで超興奮しました
京都と奈良でやった事も感じた事もいーっぱいあるんだけど、
今日は内側の気付きをお話しします
1日目だけはるかさん、2日目だけなおこさんが加わって、
常に6~7人でゾロゾロと団体行動。
今回は宿泊先も一軒貸し切りのお宿だったから、
ほぼ丸2日間ずーーーっとみんなと一緒に過ごしました
トイレとお風呂の時しか1人にならないから、
その時間が逆に違和感あったくらい
そしてこの旅でみんなとずっと一緒に過ごす中で、
4ヶ月前には全く想像出来なかったレベルでみんながみんなの「私」を自由に生きている様を見て、
私はみんながとっても羨ましくなったんです
だってみんな、私が持っていないものを持ってるから。
ステータスとか持ってるモノじゃなく、
仕草とか言葉遣いとか雰囲気とか振る舞いの話ね。
「自由」って言葉はそもそも、
誰の事も顧みない「好き放題」「自分勝手」という意味ではなくて、
「私」の自由で誰かを気遣ったり、
「私」の自由で誰かの望みを尊重したり、
「私」の自由で私の望みを尊重したり、
とにかく「何を選んでもOK」という意味なのです。
だけどこれは圧倒的に「私の望み」に自覚的になっていないと、ただただすり減って疲弊して終わる。
例えば、
「誰かの事を気遣って疲れてばかり」という人は、
「自由でいい」という言葉を、
「誰の事も顧みず好き放題やる事」と捉えて、
真逆の振る舞いが出来るように努めてまた疲れる
結局「どっちが正解?」と延々に両極端を行ったり来たり。
真面目でうっかり無理して頑張ってしまう私は、
「自由」をそんな風に捉えて頑張って疲れて、
「だったらもう誰とも関わらないのが一番ラク!」
と人間関係を築く事を拒否していました。
だから6~7人で旅行してみんなで同じ部屋に泊まるなんて、
今回の人生やっちゃうなんて想像もしなかった。
でね、「私」を自由に生きるみんなを見て、
みんなのいろんなところが羨ましくなったんだけど、
ついこの間まで誰かに対して感じていた「羨ましい」とは、
圧倒的に違う感覚だったんです。
昔は誰かを羨ましく思うと、
私もその「誰か」みたいになりたくなっていたから、
「本来の私」をなるべく抑えて、
憧れの姿に近づけるように努めていたんだけど、
今回は「このメンバーのここが羨ましい!」と思いながら、
「でも私は私にしかなれない♡」
と強く強く思ったんです
その羨ましい誰かの生きざまを見れば見るほど、
「私もそうなりたい!」じゃなくて、
「私は私を生きよう♡」という気持ちが強くなっていく
何故かと言うと、
私も「私」を自由に生きられるようになったからなんです
その精度を上げていく事でしか、
私が幸せに生きられる道はないから
誰かが持ってるものがどんなに欲しくたって、
頑張って近付いてそれっぽくなったって、
私が私を生きる事ほど素晴らしい事はないんだよ
誰かとふれあえばふれあう程に良い悪いのジャッジなく、
「私を生きよう♡」が強くなっていく。
そういう人生を送っている事が何より嬉しい。
そんな事に気付いた旅行でした