「私は道具じゃない!」
「俺たちはモノじゃない!」
みたいなセリフを漫画とかドラマとかでたまに聞く
「人を道具(モノ)のように扱う」
という表現は、あまり良くない意味で使われるよね。
私もこれまでは、
そういった類いの表現には嫌悪感があって、
「人は道具ではない」と信じてた。
だけど今日ふと思った。
そもそもこの肉体は道具だよ。
いずれ大地に還る、自然の一部。
私の意識の容れ物。
だからこそ、
大切な道具(モノ)を扱うのと同じように、
丁寧に丁寧に扱うんだ
何でそんな事をふと思ったのかと言うと、
今日農耕用の鍬(くわ)を買って、
愛おしくて愛おしくて、
「大切に大切に使うからねー」って思ったから。
庭の芝生を剥がして、
野菜畑にしようと思ってるんです
ゆきこファームです
まずシャベルを使って剥がそうとしたんだけど、
固すぎて歯が立たず、鍬で試してみる事になって。
「大切に使うからね、よろしくね」
とウキウキしながら持ち帰ってる時、
そもそも道具って大切に扱って然るべき存在で、
ぞんざいに扱って良いモノなんてなくて、
だから「人をモノ扱いするのは悪」という言葉自体に、
「モノはぞんざいに扱って良い」
という大前提が隠れてるなと思ったんです。
肉体は道具です。
意識が使う道具。
指も足も腕も、
目も鼻も舌も耳も、
肉体の機能があるお陰でこの世界を味わえるんだから、
ありがとうありがとうって、
丁寧に大切に扱って然るべきでしょ?
メンテナンスしながら、
寿命が尽きるまで使う。
それって、
モノとして存在する道具も同じじゃない
モノとしての道具だって、
メンテナンスしながら大切に丁寧に使うじゃない
まだ使えるけど手放すとしたって、
役割を果たした存在として、
「ありがとう、ごめんね」
と言って心を込めて手放すじゃない
壊れたらすぐに買い換えればいいや
気に入らなければ捨てればいいや
この値段なら失敗したっていいや
そんな風に道具やモノやお金を扱っている限り、
絶対に「自分のこと」なんて大切に出来ない。
出来るはずがない。
だって「大切な扱い方」を知らないんだもの。