仏教から学ぶ心の在り方 -2ページ目

仏教から学ぶ心の在り方

ブログの説明を入力します。

仏教は直接人を救うものではなく、悟りに近づくことで人の苦しみが、大きな幸せの上に成り立っていることを知ることで、現世における生き方の道標を与えてくれます。
その道標と人間の尊厳を守る理性について考察します。

仏教には六道という考えがあります。
人が存在する世界を地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天に分けて考えます。

地獄は罪を償う道
餓鬼は他者を貪り喰らう
畜生は本能のみで生きる
修羅は怒りに身をまかせて戦う
人間は四苦八苦しながらも喜びを見つける
天は煩悩はあるが苦しみが少ない

このうち地獄から畜生までを三悪趣とし、残りを三善趣とする。

当然できる限り上の道にいるべきですが、自分は今どこにいるか考えることで自分の行いを顧みることができます。

実際どんな人がこの三悪趣に該当するのでしょうか。
一般的な事象に当てはめて考えてみます。

地獄
犯罪を犯して刑務所に入れられたり、犯罪ではなくても他者を苦しめたことで罪の意識に囚われて自らの行動を制限してしまっている人。

幸せになってはいけないと、他者もしくは自分から罰を宣告された状態です。

餓鬼
他者の肉を貪り喰らうもっとも醜い生き方です。
人を利用し、自分さえ幸せになれればいいと思っている人ですね。

畜生
本能のみで生きる人。
動物的な欲求に身を任せ、人としての尊厳を自ら放棄しています。
最近では望まなくても他者に陥れられて畜生道に入れられている人も多いと思います。
社蓄というのもその一例でしょう。
社員の足元を見て私腹を肥やす会社は餓鬼であり、行き場所もなく仕方なく飼われている社員は社蓄という畜生です。

これら三悪趣にいると気付いた人は、そこから抜け出す努力をしなければなりませんが、その手段を間違えるとまた餓鬼畜生に逆戻りです。
餓鬼畜生にならずに人間道に上がる生き方を考えるのです。
それが仏教から理性を学ぶことです。

これは哲学に近いと思います。
トルストイは幸福論で、人は理性のある動物であり、その理性を尊重することが人間としての幸福につながると述べました。
トルストイの理性とは進歩や成長という自分自身の激励や他者への思いやりのことであり、堕落することや他者を傷付けることを嫌います。

仏教の教えとほぼ同じです。

結局トルストイは理性を尊重した上で幸福になるための生き方について、数ある論文でもいつも動物的な欲求と理性のはざまで揺れ動き、明確な答えを述べませんでした。
つまり揺れ動きながらも理性を尊重する心を持ち続けることがトルストイの幸福なのではないかと思います。
それは六道の人間道にいることと等しいことであり、仏教の教える理性とトルストイの考えた理性が一致するということになります。

他の宗教でも突き詰めれば、同じような結論に辿り着くことが多いのではないでしょうか。

宗教も哲学も結局は道徳をそれぞれの手段で進化させたものなのだと思います。
神や仏はそれを広めるための偶像なのです。

次回からは仏教の教えを掘り下げるために、経典を読み解いていきます。

よろしくお願い致します。