40代も後半にさしかかってきたワーママのおみちです。
英語の教育方針③の前に、最近読んで面白かった本をご紹介いたします
友達が絶賛していたので購入しましたが、タイトルがあまり好きではなく、半年ほど寝かしておりました。
でも、そろそろ読もうと思い、読み始めたら目から鱗の連続でした
面白かったので、簡単にご紹介いたしますね
◯この本での英語脳🧠の定義◯
英語という言語の中に現れる、英語話者による
『世界の捉え方』や『人間関係の捉え方』です。
言語によって話し手のものに対する見方の違い。
つまり、
別の言語で話す=別の考え方で話す
英語は、原因・理由が大好きな言語
嬉しい事があった場合
自分の嬉しい気持ちが生まれた理由を話す言語
日本語は、聞き手に察してほしい言語
原因・理由は話し手が説明するのではなく、聞き手が、察するのが当たり前とされる言語
ここまで読んで、なるほどと思いました🧐
うちの娘の話になりますが、
同じクラスにアメリカ人のハーフのお友達がいます。
彼女は花粉症が酷く、いつもティッシュを沢山持っていました。
彼女と一緒に下校した時、ちょうど娘がクシャミをして、彼女がティッシュを差し出して『これ使う?』と娘に聞いてきました。
娘が『ありがとう。』と言うと、
彼女は『ありがとうじゃ分からないよ。いるの?いらないの?』と聞いてきました。
娘は『Yes, I use a tissue. Thanks for giving it to me.』
と言い直して、
私は隣で文化の違いを感じておりました
しかし、いま思うと文化の違いというよりは、言語による『捉え方の違い』だったのかもしれません。
『ありがとう』の後に、理由を言わなくても聞き手が察してくれる日本語と、
『thank you 』の後に 『for〜』を入れて理由を説明する英語。
英語を含むヨーロッパ言語は、話し手に説明責任があると考える言語、一方日本語は、聞き手に理解の責任があると考える言語。
面白いですね。
川端康成の『雪国』の例も分かりやすかったので、ご紹介いたしますね
『国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。』
日本人であれば、誰もが知っている有名な一文です。
目をつぶるとトンネルを抜けた後の銀世界が想像できます
日本語は、自分の目がカメラになり、そこに映った世界を言葉にする言葉で、
一方、英語は
『The train came out of the long tunnel into the snow country.』 E.Seidenstiker訳
まるで鉄道模型を見るかのように、物事を俯瞰して言葉にする言語だそうです。
両言語による視点の違いが面白いなぁと思いました。
実際に娘の日本語を聞いていると、幼いなぁと感じるんですが、英語になると急に大人びて感じるのも、もしかするとこの視点の違いじゃないかなと思いました。
長くなったのでこの辺で