去年のいまごろ、わたしは病院の陣痛室で

ありったけの力でありったけの声をあげていました。



一年たって今、


約9キロに大きくなったちろが寝たので

その時のことを思い出してみようと思います。


(だーらだらと、とりあえず長いです。)








39週と1日



朝、旦那さんが珍しくケータイを家に忘れていきました。

そして珍しく都内へ出張の日。


なにを思ったか、わたしはベランダから、

さっき家を出たばかりの旦那さんを探し


姿が見えなかったけど、諦めずパジャマのまま大きいお腹で

ケータイを持って追いかけました。



今思うと、これがナイスプレイ。



そして、旦那さんも、気付いて取りに戻ってきた。


これまたナイスプレイ。





そしてその日は、

市の無料クーポンの最後を使った妊婦健診でした。




“大きくなりすぎる前に産みたいから”


ということで、スクワットやら踏み台昇降運動やらをやっていたわたし。


この日は、駅の階段も全部エスカレーターを使わず登ったし、

がんばって速足気味で診察へ向かいました。


(そのくらい余裕があった!)






先生に診てもらったのがお昼過ぎ



先「あぁ、まだまだですね。

   来週また同じ曜日に来てください。

   その時にまだ生まれなそうなら、次はいついつにしましょう。」



なんて話をしていた。



お腹にモニターをつけてみてもらっても、

若干の張りはあるけど、

本人全く気付かず。




大きい病院だから、

診察が終わって、お会計が済むまでに結構時間がかかって

なんだかんだ14時半



なんだかちょっとお腹が痛くて

ほんのちょっとの気持ちで、ロビーの椅子に座った・・・けど・・・



うぅん、なかなか落ち着かず

もじもじしたり。




でもおなかも減ったし、雨も降ってるし



あぁ、動くのだるいなぁ



なんて思いながらTwitterなんかしながら過ごすこと早2時間




いや、待ってよ。

なんだか痛みが規則的、な、ような・・・気が・・・しないでもない。



朝からずっといじってるケータイは

充電がなくなってきたから、

万が一の時に備えて(まだこの時万が一とか思ってるのんきさ。)

旦那さんの番号を紙にメモ。



まぁ、でも気のせいかもしれない。



とじぶんに言い聞かせて、

なんと病院の近くのサブウェイにお昼を食べに行ったのが16時半ごろ




一応注文して、いい景色の席に座って

一応完食はしたものの(そう。完食した。)



やっぱり痛い。

やっぱりヘン。





時間は17時少し過ぎ


たしか席から見える普通の時計を使って計った陣痛間隔はすでに5分。



この時点で、まだ確信していないわたしもわたしだけど、



でも、どうにも痛いので、

かなり意を決して目の前の病院に逆戻り。




お昼過ぎに診てくれた先生がまた診てくれたけど



「うぅん。ちょっと進んでいるけど、

 まだかかるかな。

 取り合えず家に帰って歩いてください。

 もしかしたら、今週末には生まれるかもしれません」



とのこと。


えっと、その日は木曜日



今週末って、あと数日かかるお見立て?



このコメントをもらったのが18時






でもわたしはもう、ひとりで駅まで歩いて、

電車で家にたどり着く自信がなかったので


15時くらいの時点で連絡をしていた旦那さんが

病院まで迎えに来てくれるのをロビーで待つことに。




ケータイ、取りに戻って本当によかった。




出張先から、スーツのまま旦那さんが駆けつけてくれたのが

19時


もう、お会計をする人もいなく

暗く静まり返ったロビーで地味に苦しむわたし。




旦那さんが、なぜかこの時、あらかじめ登録しておいてくれた

陣痛タクシーを呼んでくれて家に帰る事に。



タクシーが来てくれたのが

19時半



もう、この時、車の揺れがおなかに響いて

痛くて痛くて・・・



でも、さっきのことがあるから、まだまだだと思って

我慢しながらお家に就いたのが20時




その間にも痛みはどんどん増してきて、

部屋に入ってすぐに座ったソファから一歩も動けないままもだえるわたし。




ちょっと近所迷惑かな・・・



くらいの声で痛がる姿を見て、

再度病院へ行くことをすぐに勧めてきた旦那さん。




でもさ、さっき家に帰されたばかりだし、

週末って言われたし・・・




また行って、また返されたらなんだか恥ずかしいし・・・

と痛みの谷間で拒否はしてみるものの、



もうどーにもこーにもならないので



旦那さんが病院と陣痛タクシーそれぞれに電話をして

戻る準備をしてくれた。



(病院への電話は、声の調子などからも妊婦の様子を確認するため

 原則本人が架けるよう言われていたけど、

 もうそんなの無理。

 電話口で、ギャーギャー言っているのが聞こえただろうから

 たぶんそれで分かってもらった物だと判断)





病院へ戻るタクシーはもうホント激痛で、


手を握ってくれようとする旦那さんを振り払って

車の手すりにしがみついてただ叫んでいた記憶が。。。


ゴメンネ♡





夜の病院に急患用出入り口から入ったのが

21時ごろ




もうなにこれ!!!!!!!!!!!!!!




ってくらい痛くて、

わたしは何もできないまま、

旦那さんが受付をしてくれ、すぐに車椅子で産科フロアへ。




もう、人生最大の激痛は通り越して未知の領域。



人のお腹ってこんなに痛くなれるんだ。

                   by2016年のわたし





その日の診察3回目で、

ようやく、お産が進んでいると認めてもらって


よくわからないまま、痛みの谷間で

最後の書類を書いたり、点滴をつけられたり、

病院着に着替えたり・・・





直径2,30cmのじぶんの頭の中で

大玉の打ち上げ花火が何発も暴発している気分




切ってくれ。




と思ったけど、そんなの誰も聞いてくれるわけもなく

ただただ全力で叫び続けること2時間くらい




あのね。なんていうんだろ、これ。


死ぬほど痛いって言葉があるけど、

これで死ねないなら、死ぬほどってどんだけよ。


って思うくらい。





やっと分娩室に映ったのが23時頃



こっちは死ぬほどを超越した何かに

全身全霊で翻弄されているのに、

すばらしく冷静で、でも心強い助産師さんたちに



「はい、じゃあ次の波でいきんでみましょうか~」



って言われたのが23時半くらい

あれ?もっと後だったかも。





不真面目妊婦だったわたしは、

出産について特に勉強もしておらず、


いきむって何?状態だし、

この状態で、何か能動的にがんばる事なんてできなくて




それでも、プロフェッショナル助産師さんたちにリードされ、お産は進み

やっと先生が登場。


この期に及んで、



嫌だ、怖い。痛いの怖い。



と言いながらも、チョキンと切開もされ

(うん、痛かった。)




その後すぐに




はい、おめでとうございます~☆











23時58分




出産が終わりました。










ぜーぜー言ってるわたしの足元から

助産師さんたちが一気に離れた先で



この世で聞いたこともないような音が



音には色はついていないけど、



なんていうかこう、

天から差し込んできた光みたいな音がした。



これがわたしが初めて聞いたちろの声でした。







その後、いろいろ計測が終わって、

ドラマのように枕元にちろを連れてきてもらったけど、


なんせお昼からの展開が早くて

身体とは裏腹に気持ちが付いていかなくて




「いや、今はいいです。先に主人に渡してください」




と、なんと一時拒否。






旦那さんがどうしていたのか、

よく見ていなかったけど


普段冷静な彼が




「て、手も足もちゃんと5本あるってよぉぉぉ!」



って言ったのは、この先たぶん忘れないと思う。





ないから。


それ、指の話だから。









日付が変わって、その後しばらく分娩台の上に乗せられたまま

旦那さんと、生まれたばかりのちろと過ごし、


ろくに挨拶もしないまま、

お部屋移動のタイミングで旦那さんは家に帰された。

深夜2時過ぎ。


かわいそー。








ちろは新生児室へ。


わたしはそのまま、個室に移されて、

朝まで寝るようにとのことだったけど、



気持ちも体も興奮していて眠れるはずもなく、

ベッドの上からぼーっと、夜の京浜工業地帯とみなとみらいがゆっくり明るくなるのを見ていました。




まだ、じぶんに何が起こったか、

気持ちの底まで落とし込めていないままだったけど、


雨も上がって、

穏やかで、美しくて、しあわせに満ちた朝だったことは

今でもはっきり覚えています。










一年たって、思い出してみたけど、

やっぱり人生でいちばん大きな出来事のあった日。

記憶は鮮明でした。



これから、週末のお誕生日会の準備をしながら

20歳になったちろへ宛てたバースデーカードを書きたいと思います。





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Life is Beautiful!!


宗教とかよくわからないけど、神様ありがとう。って思った。