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日曜日。今日は完全オフ。
昼くらいまで寝ようかと思ってたのに。
早朝5時過ぎに余震が…(◎◇◎;)))
すっかり目が覚めちゃった。
揺れに敏感になってるから仕方ない。
横になってると小さな余震も分かっちゃうからね…トホホ(-.-;)
さて、天気もいいし洗濯でもするかな。
昼くらいまで寝ようかと思ってたのに。
早朝5時過ぎに余震が…(◎◇◎;)))
すっかり目が覚めちゃった。
揺れに敏感になってるから仕方ない。
横になってると小さな余震も分かっちゃうからね…トホホ(-.-;)
さて、天気もいいし洗濯でもするかな。
うまく眠れないので思い出しながら。
きのうの話。
彼氏と休みが合ったので、やっとガソリンも満タンにできたので、実家に帰ることができました。
その時のことを忘れないように記しておきたいと思う。
映像や新聞で散々見てきたから覚悟はしていたけども。
酷かった。
何もなかった。
東松島市野蒜。死者200人以上。行方不明者いまだ多数。
あの大地震から一ヶ月。
道は確保されていたけれどもまだ町には瓦礫の山。
悲しみと無力さで言葉も出ない。泣き叫びたかったけど声が出ない。
どうして。
何で。
悔しい気持ちが溢れて怒りさえおぼえた。
広くて綺麗な海岸に沿うように町並みが広がっていた地元を、10m以上の津波が容赦なく飲み込んだんだ。
海により近い集落はまだ水の中だったよ。友達の家やたくさん通った小さな商店はどこにあったかさえ分からないくらいに影も形もなかった。
駅やスーパーや郵便局や町の診療所。形ある建物は無惨な姿で残ってた。
避難所になっていた小学校は体育館を丸呑みにして校舎2階まで水を被った。
避難していた小さい子や老人が逃げられずに命を落とした。犠牲者の多くが本来身を守ってくれる、安全だとされていた小学校で被災した。
裏の山に逃げれば多くの命が救われたんだろうな。
そうなんだ。想定外だったんだ。避難マニュアルなんてなんの役にも立たなかった。
ちなみに中学校は海岸が目の前にある。瓦礫に埋もれているため立入禁止。まだ撤去の手さえ入っていないんだってさ。
海からも川からも少し離れていて山側にある実家は奇跡的に被害なし。家族も無事に生きていてくれた。
お父さんがぽつりぽつりと話してくれた内容はどんな報道の内容よりも生々しかった。
もと自衛官の父はいち早く近所の公民館を対策本部にして避難所として開放したけど、最初の三日は地獄だったと話した。
続々と集まるずぶ濡れの人達。
役所も自衛隊も被災し役に立たない。
情報集めをしようとしたけど、電気がないためしばらく状況が掴めなかった。あんなにテレビで報道してたのになんて無力なんだろう。
ラジオから聞こえるのは広い範囲の被害状況。
ああ。うちだけじゃないんだ。宮城だけじゃないんだ。
いち早く来てくれるだろう救助の手が遠退いていく。
そんな気持ちで途方に暮れたらしい。
でも生きてる人を探しに果敢に繰り出した若い方々ももちろんいた。
自分の家族を探すよりも山に逃げた人達を助けに行った人がいた。
父と一緒に避難所のやりくりをして指揮していたのは近所おじちゃん。
私の弟と同じ歳の息子がいた。
津波の犠牲となり亡くなったことが分かったのは、震災から4日後。少しずつ状況が見えはじめてきた矢先だった。
本当に頭が下がるよ。胸がいたいよ。
町を見て来た?酷かったでしょう?
でもお母さんが一晩明けて見に行った時はもっと酷かったんだよ。
気丈に振る舞う母の姿にも泣けた。
いま実家は被災して家をなくした親戚がいるため大家族だ。
私の父や母が見なかった津波が来る瞬間を目の前で見たひと。
家が流されていくのを見たひと。
車で波に飲まれ命からがら逃げて寒い寒い山の中で一晩明かしたおばちゃんもいた。
思い出すのはやっぱり辛いよね。私もあまり聞けなかった。
それでも、久しぶりに実家に帰った私を笑顔で迎えてくれました。
ありがとう。
少ない物質の中作ってくれたおにぎり。
ほら。震災飯だ食べな!って笑ってた。
強いなあ。ほんとその笑顔に救われたよ。
震災から一ヶ月。
仙台市内はライフラインも復活し普段と変わらない生活を取り戻しつつある。
私も復興のために頑張っている人達を取材する日々を送っている。
けれども被害が酷い地域は『復興のために頑張る』域までいってないのが現実。
瓦礫の山に途方に暮れ、まだ見つからない不明者を思い、どう生きていけばよいのかさえ見失いそうになっているんだ。
父も、復興なんてまだ先だ。明日何をすればいいのか考えるので精一杯だと話していた。
ほんと私に何ができるだろう。
無力だ。
ほんと、そんな方々に頑張れって言えない。
私の力は無いに等しい。
だから助けてあげて!お願いします!
国は県は市は、今後ちゃんと救いの手を差し延べてあげるだろうか…心配で仕方ないけど、いまは祈るしかない。
いつか私の生まれ育った地元に本当に復興という希望の光が見えてきたら、少しだけ仕事させてね。頑張ってる人の笑顔や町並みを取材に来るからね。
いまは私も悲しいからとてもそんな気になれない。ごめんね。
少しずつ少しずつ少しずつ。
前を向いてくれることを切に願います。
負けないぞ。
踏ん張って生きてやる。
取材しているといろんなところで感じる。力強い言葉はいつか実を結ぶと思う。
私も負けない!
すごく傷ついたけど、それごと何かの力に変えてやる。
私は私のできることをやるしかないんだ。
きのうの話。
彼氏と休みが合ったので、やっとガソリンも満タンにできたので、実家に帰ることができました。
その時のことを忘れないように記しておきたいと思う。
映像や新聞で散々見てきたから覚悟はしていたけども。
酷かった。
何もなかった。
東松島市野蒜。死者200人以上。行方不明者いまだ多数。
あの大地震から一ヶ月。
道は確保されていたけれどもまだ町には瓦礫の山。
悲しみと無力さで言葉も出ない。泣き叫びたかったけど声が出ない。
どうして。
何で。
悔しい気持ちが溢れて怒りさえおぼえた。
広くて綺麗な海岸に沿うように町並みが広がっていた地元を、10m以上の津波が容赦なく飲み込んだんだ。
海により近い集落はまだ水の中だったよ。友達の家やたくさん通った小さな商店はどこにあったかさえ分からないくらいに影も形もなかった。
駅やスーパーや郵便局や町の診療所。形ある建物は無惨な姿で残ってた。
避難所になっていた小学校は体育館を丸呑みにして校舎2階まで水を被った。
避難していた小さい子や老人が逃げられずに命を落とした。犠牲者の多くが本来身を守ってくれる、安全だとされていた小学校で被災した。
裏の山に逃げれば多くの命が救われたんだろうな。
そうなんだ。想定外だったんだ。避難マニュアルなんてなんの役にも立たなかった。
ちなみに中学校は海岸が目の前にある。瓦礫に埋もれているため立入禁止。まだ撤去の手さえ入っていないんだってさ。
海からも川からも少し離れていて山側にある実家は奇跡的に被害なし。家族も無事に生きていてくれた。
お父さんがぽつりぽつりと話してくれた内容はどんな報道の内容よりも生々しかった。
もと自衛官の父はいち早く近所の公民館を対策本部にして避難所として開放したけど、最初の三日は地獄だったと話した。
続々と集まるずぶ濡れの人達。
役所も自衛隊も被災し役に立たない。
情報集めをしようとしたけど、電気がないためしばらく状況が掴めなかった。あんなにテレビで報道してたのになんて無力なんだろう。
ラジオから聞こえるのは広い範囲の被害状況。
ああ。うちだけじゃないんだ。宮城だけじゃないんだ。
いち早く来てくれるだろう救助の手が遠退いていく。
そんな気持ちで途方に暮れたらしい。
でも生きてる人を探しに果敢に繰り出した若い方々ももちろんいた。
自分の家族を探すよりも山に逃げた人達を助けに行った人がいた。
父と一緒に避難所のやりくりをして指揮していたのは近所おじちゃん。
私の弟と同じ歳の息子がいた。
津波の犠牲となり亡くなったことが分かったのは、震災から4日後。少しずつ状況が見えはじめてきた矢先だった。
本当に頭が下がるよ。胸がいたいよ。
町を見て来た?酷かったでしょう?
でもお母さんが一晩明けて見に行った時はもっと酷かったんだよ。
気丈に振る舞う母の姿にも泣けた。
いま実家は被災して家をなくした親戚がいるため大家族だ。
私の父や母が見なかった津波が来る瞬間を目の前で見たひと。
家が流されていくのを見たひと。
車で波に飲まれ命からがら逃げて寒い寒い山の中で一晩明かしたおばちゃんもいた。
思い出すのはやっぱり辛いよね。私もあまり聞けなかった。
それでも、久しぶりに実家に帰った私を笑顔で迎えてくれました。
ありがとう。
少ない物質の中作ってくれたおにぎり。
ほら。震災飯だ食べな!って笑ってた。
強いなあ。ほんとその笑顔に救われたよ。
震災から一ヶ月。
仙台市内はライフラインも復活し普段と変わらない生活を取り戻しつつある。
私も復興のために頑張っている人達を取材する日々を送っている。
けれども被害が酷い地域は『復興のために頑張る』域までいってないのが現実。
瓦礫の山に途方に暮れ、まだ見つからない不明者を思い、どう生きていけばよいのかさえ見失いそうになっているんだ。
父も、復興なんてまだ先だ。明日何をすればいいのか考えるので精一杯だと話していた。
ほんと私に何ができるだろう。
無力だ。
ほんと、そんな方々に頑張れって言えない。
私の力は無いに等しい。
だから助けてあげて!お願いします!
国は県は市は、今後ちゃんと救いの手を差し延べてあげるだろうか…心配で仕方ないけど、いまは祈るしかない。
いつか私の生まれ育った地元に本当に復興という希望の光が見えてきたら、少しだけ仕事させてね。頑張ってる人の笑顔や町並みを取材に来るからね。
いまは私も悲しいからとてもそんな気になれない。ごめんね。
少しずつ少しずつ少しずつ。
前を向いてくれることを切に願います。
負けないぞ。
踏ん張って生きてやる。
取材しているといろんなところで感じる。力強い言葉はいつか実を結ぶと思う。
私も負けない!
すごく傷ついたけど、それごと何かの力に変えてやる。
私は私のできることをやるしかないんだ。