教職課程必修の介護研修7日間無事に終わりました
受け入れ先は特別養護老人ホーム
短い期間でしたが、たくさん勉強になりました
認知症で、それもかなり進んでいる方が大半でしたので、
コミュニケーションをどうとっていくのか、
というのが最大のテーマでした。
職員さんたちはみなさん、とても親切でしたが、
やはり介護の現場は厳しく、忙しく、
実際にゆっくりコミュニケーションを利用者さんと
とることは難しい感じでしたので、
時間的に余裕のある教職研修生として
自分なりの工夫が必要でした。
ふだん児童英語講師、こそだて英語講師として、
私は言葉での会話が成り立たないくらい
小さな子たちと、英語の歌や手遊び、
簡単な工作などで触れ合っていますから、
ここでも、やはり、アイデアとして出てきたのは、
歌、手遊び、工作
ずいずいずっころばしで遊んだり、
歌に合わせて指を順番に折ったり、開いたり。
工作は、折り紙でチューリップを折って、
みんなで大きなお花畑を作ったり、
着物や縫い物の色合わせみたいに
折り紙の色を組み合わせていく遊びをしたり。
(あまりお話はされない方が、色をパッとみただけで瞬時に組み合わせを作ってくれて、その色合わせもよく映える組み合わせなので感心しました。その方は和裁が得意だったそうですが、本当に好きだったことに対しては、感性は鈍らないんですね)
他には、昭和の街並みや道具、映画スター、
歌手などの写真をインターネットで拾い集めて持参し、
それをお見せしながら、思い出話を伺ったりもしました。
認知症の方は、最近のことは忘れてしまいますが、
昔のことは覚えているのです。
平塚市生まれの96歳のおばあちゃんが
平塚の昔の写真を懐かしそうにみて
いっぱい、いろんな話をしてくれました。
海軍の火薬庫(今の総合公園)があって
空襲で教会以外ぜんぶ焼けたこと。
八幡様の向かいに女学校があって、
毎日、田村から自転車で砂利道を30分
通ったこと。
海沿いは昔、桃畑だったこと(今も桃浜町
という地名が残っていますね)。
普段、なにげなく暮らしている
土地ですけれど、知らないことがたくさんあって
こういう歴史を
じっくり聞けることはとても貴重な経験。
あるおばあちゃんが、写真をみて、
「これ、旦那さん?男前だねーぇ」
私が否定しても、「いやー、男前だねーぇ」と、
もう訂正不可だったので、
旦那ということにした人
石原裕次郎 (笑)
辛いと思うこともありましたが、
最後には、暖かい言葉をたくさんかけていただき、
感激しました。泣いてくださる方もいて、
こちらも泣きたい気持ちでしたが、
やっぱり笑顔でバイバイしたかったので、
おひとりずつ肩もみしながら「元気でね!」と、
お別れしてきました。
こうしてブログを書いていても、
車椅子に乗ったおばあちゃん、おじいちゃんの姿が
思い出されて、複雑な気持ちになります。
ときどき仕事に出向く先の通り道にある施設なので、
そばを通るたびに気になりそうです。
7日間、いろいろな方にお世話になりました。
施設の職員さんはじめ、利用者のおばあちゃん、
おじいちゃん方。平日の5日間、慣れない保育園で
長時間頑張った娘。
一時保育の時間枠を超えているのに
快く保育を引き受けてくださった保育園の先生方。
週末に子どもの面倒をみてくれたり、
仕事の日も疲れて帰ってきてるのに、
家事を手伝ってくれた(いつものことですがー)夫。
上の子を預かってくれた父母。
ありがとうございましたー
心から感謝しています
さあ、明日からはまた気持ちを切り替えて、
レポート書き、仕事準備、
その他もろもろ、がんばっていきますよーっ