先月から今月にかけて、
つくば言語技術教育研究所の
セミナーに参加してきました。
言語技術というと
わかりにくいかもしれませんが、
英語圏のみならず、かなり広い範囲の国々で国語の時間に習うlanguage artのこと。論理的に考え、批判的な視点を身につけ、表現の仕方を具体的に学ぶ「ことばの技術」
残念ながら、我が国では、
国語の時間にはほとんど取り上げられない項目です。日本語はやはり漢字の学習に大きな負担がありますよね。限られた時間のなかではあれもこれもやるのは難しい上に、日本文化で生活していると、あえて明確には求められない部分でもあります。(むしろ嫌がられたりするかも)
言語技術は国語に限ったことではなく、「ことば」というすべての教科の根底にあるものであるがゆえに、他の領域にも大きくかかわっています。
音楽や美術の鑑賞で、
「自分の感じたことを書きなさい」
と言われたとき、ほとんどその具体的な批判的鑑賞方法を学ぶことなく、情緒的な感想をただ書き連ねることになり、なんとなく「これでいいのかな」というところでやり過ごしてしまった経験ありませんか?(私は小学生のときそうでした)
イギリスの大学院で学んでいるときにも、書く、話す、議論する、読む、様々な場面で苦労して、この言語技術の訓練の足りなさを痛感してきました。(その当時は言語技術という言葉は知りませんでしたが)
日本人の学生の場合、英語力のハンデに加えて、言語技術の低さがさらなるハンデになるわけです。
学校でやらないのなら、親がやるしかないよね…と、小学生の息子に一番自分が伝えたい「言語技術」
いままでなんとなく口頭で絵本のあらすじをまとめさせたり、単語での会話は禁止にするなどしては来ましたが、ちょっとでも勉強っぽいとすぐに拒否するので、困っていました。
いっそ「勉強」のくくりでやらせたらどうかしら、と、今日、初めて三森ゆりか先生(つくば言語技術教育研究所の創立者)の『子どものための論理トレーニングプリント』を使って、家庭学習の時間に取り組ませたら、最初は文句を言ってたものの、できた!
お題は「問答ゲーム」
決まった型を使って論理的に話す訓練です。
「あなたは算数が好きですか?」
型は
主語を入れる
「何が」を入れる
結論を先にいう
理由を述べる
息子ははじめ、
算数が好きかきらいか、
という問いに対して
「ふつう」
と答えました。
彼は答えるのが面倒なわけです。
思考停止。
すかさず、
好きかきらいか聞かれているのに、
ひとこと「ふつう」では
ほかの文化圏では通じないこと
(常にお前はなにものであるのか?を問われます)
理由は、
相手がなるほどと思えるものならなんでもよいので、まずは自分の考えを示すことが大事だということ
を伝えて再考をうながしましたら、
今度は
「ぼくは、算数が好きです。理由は、人に教えられるからです。」
うーん。
…人に教えられるから、とは⁉
つまり、どーいうこと?
と重ねて聞いたら、
「うぎゃー、もー、やだー!」
と叫びつつ、
「誰でも人に教えられるってことでしょ⁈」←このへん逆ギレぎみ
あ、そっか。
自分が得意で教えられるって意味じゃなくて、算数がたくさんのひとにとって教えやすいと考えてるわけね。
それはつまり、算数はどうだから?
「国語みたいに答えがバラバラじゃなくて、はっきりしてる!」
おー。
じゃ、それがムスコくんの考える算数なわけね、それではじめてよく分かったよー。「人に教えられる」だけだと、得意だから、って理由かと思っちゃったよ。
じゃあ、はじめから相手に分かりやすい理由をつけて言ってみてね。
「ぼくは算数が好きです。理由は、算数は国語と違って答えがはっきりしているからです。」
「ふつう」から↑ここまで10分
言い終えて、私に自分の考えが伝わったのが嬉しかったのか、ニコニコに。
小さな積み重ね、地道にやって行こうと思います。だけど、やっぱり母親が先生役になってこなすのは大変そうでもあり、少しでも言語技術教育が義務教育に組み込まれる日が早くやってこないかなー、と切望。
(東京都などでは一部試験的な取り組みはあるようですし、つくば言語技術教育研究所にも教員のための講座がありますが、まだ一般的じゃない)
ちなみに、言語技術のトレーニングの要素、私の小学生向けの英語クラスの一部でも、取り入れています(日本語で)。時間的制約があるので、ほんのちょっとですが、子供たちが将来英語(や別の言語)を使ってなにかをしようとしたときに、役に立ったらうれしいな。