創造者へと旅する者の魂の経験 | 心に光を呼びます Padme★yuki

心に光を呼びます Padme★yuki

誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 

前の記事からの

つづきです。

 

 

大事だ!!

と思った詩的な文章の前に

ものすごく辛辣なことが書かれています。

 ↓ ↓ ↓

 

いやはや

ほんとに厳しいっすよあせる

 

 

 

 

では

その詩的な文章・・・

 

 

第一段階

 

生命は日夜、形態を使って長い階段を昇ってきた。三つの低きものを通してゆっくりと進み、長き道のりを旅してきた。別の扉が開いた。そして言葉が響く。「真の欲望の道に入りなさい」と。

形態としての自分しか知らない生命は、鮮明な赤、つまり既知の欲望である赤で自分自身を包む。その赤を通して、それまで切望してきたすべての形態が近づく。生命をそれを捕らえ、保持し、活用し、そして破棄する。やがて赤はバラ色に変わり、バラ色は淡いピンクに変わり、ピンクは白に変わる。そして、純白の生命のバラがほころぶ。

 

 

第二段階

 

風景が形を変える。すぐ近くから別の声が別の言葉を響かせる。生命はその道を進み続ける。「子供たちが遊んでいる広場に入り、彼らのゲームに加わりなさい」と。生命のゲームに目覚め、魂は門をくぐる。

広場は緑。その広大なひろがりの上で、躍動する唯一なる生命の多くの形態が楽しんでいる。

彼らは生命のダンスを織りなし、神は多くの様々な形態をまとう。魂は「主の遊び場」へと入り、そこで遊ぶ。やがて五芒星を見て、「私の星よ」という。

星の光は点にすぎず、まだ輝かしい太陽にはなっていない。

 

 

第三段階

 

赤い欲望の道は衰え、その魅力を失う。もはや神の子らの遊び場に心を動かされることはない。外側の形態の世界から二度発せられた声が、今度はハートの内で響く。挑戦の機会が訪れる。「汝自身の価値を示しなさい。汝のひたむきな目的であるオレンジ色の玉を自分のものにしなさい」と。響く言葉に反応して、形態内に沈んでいた生き生きとした魂が多くの形態から現れ、その上昇の道を切り開く。破壊者の道が訪れ、形態を創ってはまた引き裂く。破壊された形態には満足させるだけの力はない。魂自身の形態が今、最大の欲望であり、かくしてマインドの遊び場へと入ることになる。

しかし、この夢と空想の世界において、たびたびヴィジョンが訪れる・・・それは蓮の花の蕾のヴィジョンであり、その花弁が堅く閉じられ、しっかりと覆われ、まだ芳香を放っておらす、冷たい青い光を浴びている。

オレンジとブルーはいつの日か融合するが、それはまだずっと先のことである。その融合したものが蕾に光を浴びせ、将来、花;開かせるのである。光よ、導きたまえ。

 

 

第四段階

 

生命は暗闇へと進む。これまでとは違う声が響いたように思える。「洞窟に入り、汝自身を見つけなさい。明るいランプを頭上にかかげて、暗闇を歩きなさい」と。洞窟は暗くて寂しい。そこは冷たく、様々な音や声が響いている。主の遊び場に残された多くの神の子らの声が、光を求めて訴えかける。洞窟は長くて狭い。空気は霧を多く含んでいる。水の流れる音は、風の吹き荒れる音と混ざり、時として雷が鳴り響く。

遠く微かに、非常にぼんやりと、卵型の窓が現われる。その色はブルー。このブルーの空間いバラ色の十字架(文章中では十字架と表現されているのは、本を出版したのがキリスト教が多い社会だからです。)が腕を広げているのが見える。四つの腕が交わるその十字架の中心には一輪のバラがある。上に向かって伸びる腕の先にある五芒星の中には、1つのダイヤモンドがきらめいている。

生き生きとした魂は十字架に向かって突き進む。その十字架は、啓示され知られるようになった生命へと続いていく彼の道を塞ぐものである。

まだ十字架は据えつけられておらず、それゆえ、それを後にする。生き生きとした魂は進んでいく。目は十字架をしっかりと見据え、耳は兄弟であるすべての魂の嘆きの叫び声を聴きながら。

 

 

第五段階

 

まばゆい生命と光の中へと出る。洞窟を後にする。十字架はくつがえされ、道が開かれる。言葉がハートではなく頭の中にはっきりと響く。「再び神の遊び場に入りなさい。今度はゲームを導きなさい」と。道は階段の二番目で遮られている。魂自身がそうしたのである。もはや赤い欲望が生命を支配することはなく、澄んだブルーの炎が燃えさかっている。遮られた道の最下の段に立ち、振り返り、遊び場への階段を下りる。そこで、かつて形成され、今は死んでしまった貝殻と出会う。破棄した破壊した形態を踏み、慈悲深き手を差し延べる。彼の肩には平安の鳥がとまり、足は使徒のサンダルを履いている。

光輝く生命の栄光はまだ完全ではない。永遠なる平安にはまだ入っていない。さらに働き、小さき者たちをさらに向上させなければならない。

 

 

 

ここには象徴的な、

人間の人生と進歩が描かれており、

創造的な仕事の建設過程を通して

成長する生命が描写されている。

これは、

いくつかのマントラ的な言葉を

基本的な象徴を

大胆に翻訳したものでしかなく、

知る人々だけが理解できるよう

ベールに覆われた過程を

暗示的に示す。

それ以上のものではない。

(青字の文章↑は、表現が伝わりやすいように編集しました)

 

 

 

 

 

 

 

この詩的な表現に書かれているのは

実際にこの世で経験することじゃなくて

魂が成長していく上でのステップ。

 

では、私なりの説明をば・・・

 

 

第一段階の

「真の欲望に入りなさい」とは

神の使徒になりたいとか、

世の中のために何かしたいとか、

純粋な欲望ってこと。

利己的ではない

利他愛の欲望。

自分を律してやっとここまで来た

という段階。

切望していた形態には近づくが

まだ、自分のものではない。

 

 

第二段階

「神の遊び場に入る」とは、

イリュージョンに入るってこと。

そこで体験することは

人それぞれで違う。

その人の思考が反映される。

 

まさに神の遊び場!

 

プレイングルームで

観察され、試されるわけ。

 

神の遊び場に入って

そこで満足しちゃって

先へ進まない人もいるの。

まだまだ先は長いし

駆け出しなのに

「あれは私の星よ」

なんて言っちゃって

それで満足しちゃったらアカンよ。

(ああ恥ずかしい)

 

 

第三段階

自分が本当に欲していた形態は

この『神の遊び場』には

無いことに気づく。

(気づいて!!)

様々な奇跡には

意味がないことに気づく。

(気づいて!!)

本当に欲していたものを目指す

(オレンジ色の玉は象徴であり、それが欲しいわけじゃない)

覚悟が決まると

道を切り開くための応援隊がサポートしはじめる。

それは、

現実世界にもいるかもしれないし

見えない世界で応援してくれるかもしれない。

けれど、どれも

限定した者・物ではない。

形態を創ってはまた引き裂く

傷つきながら成長していく。

光よ、導きたまえ。

 

 

第四段階

「洞窟に入り、汝自身を見つけなさい」

これはね!

スター・ウォーズのエピソード5ですよ!

★スター・ウォーズから学ぶ教え★

 

十字架があって、

「見つけた!」と喜ぶかもしれないが

汝自身を見つけなさい

と言ってるんです。

探し物は、十字架ではない。

そこで

十字架にしがみついて

暗闇の洞窟に居つく人もいるでしょう。

だから

その十字架は・・・彼の道を塞ぐものである。

なのです。

その十字架を後にして、

魂は進んでいく・・・

(十字架ではなく、独鈷だとか、聖典だとか、天使や仏、その人にとって神聖な魅力のあるモノが誘惑として現れるでしょう)

 

 

第五段階

成長して強くなり知恵を得た魂は

また、「神の遊び場へ」と言われる。

 

はっきりと言葉が聴こえる

のではなく

天からのサインであると

確信が持てるようになる。

 

「今度はゲームを導きなさい」

と言われるが、それは

正しい道へと導きなさい

ということなのでしょう。

慈悲深き手を差し延べる。

本番はこれからだ。

光輝く生命の栄光はまだ完全ではない。

永遠なる平安にはまだ入っていない。

なんのためにここに来た?

白魔術師の仕事とはなんだ?

さらに働き、小さき者たちをさらに向上させなければならない。

真の道はここからです。

苦難の道だけれども

その大計画の一員であることに

喜びを感じ、進むだよキラキラ

 

 

 

第五段階の文章のここ↓

澄んだブルーの炎が燃えさかっている。

彼の肩には平安の鳥がとまり、足は使徒のサンダルを履いている。

って、ナウシカの

「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」の人みたいだよね。

宮崎駿さん

この本を読んだのかしら?

それとも

いくつかのマントラ的な言葉を

基本的な象徴を

大胆に翻訳したものでしかなく、

とあるので

どれかのお経にも書いてあるのかな?

 

 

 

というわけで

この詩的な表現

わたしなりの解釈でした~ウインク

 

 

 

 

 

 

注意お勉強会での内容と

  私のノート、解釈は

  まったくの別物ですので、

  あしからず。