謎めいた存在の月読(つきよみ)の神
古事記・日本書記では、アマテラスとスサノオの兄神とされている。
けれど、ほとんど話の中に出て来ない。
なぜ出て来ないのだろう?
瀬織津姫も、大きな存在なのに、まったく出て来ない。
スサノオもダダッコ扱い。
これって、きっと、存在が大きすぎるからこそ、
矮小化してるんだろうなって、最近つくづく思います。
ツキヨミは、天空・宇宙を司る神だから
人には計り知れないのだ
と、以前、出雲で教えてもらった・・・
というわけで、
秦氏は、月読神を崇めていたそうです。
聖徳太子も、秦氏の影響が大きいからでしょう、月読派だったと。
(だから、月読信仰がしっかりとあったはずなのです)
ひっそりとして、居心地の良い神社です。
↓ 解穢(かいわい) って、響きが重いですね(笑)
子宝・安産の石だそうです。↓
月といえば、ウサギ。ウサギは多産だから?
(今昔物語天竺篇巻五第十三より略述)
今は昔、天竺のこと。
ウサギとサルとキツネが発心して修行を積んでいた。
前世で罪を犯して地獄に堕ち、
それでも残った罪を償うために獣となった三つの魂である。
ある時、帝釈天が三匹の心を試すために、
疲れた老人の姿になって現れた。
帝釈天だとは知らずに、獣たちはこの老人を養うことに決めた。
サルとキツネはたくさんの食べ物を集めてくるが、
ウサギは何一つ集めてくることが出来ない。
ウサギは耳を高く背を丸め、目を大きく前足短く、
尻の穴は大きく開いて懸命に探すが、
それでも何一つ集めてくることが出来ない。
老人やサル、キツネに無能をからかわれたウサギは、
サルとキツネに焚き火をおこさせた。
いぶかる一人と二匹の目の前で、ウサギはその身を火に投じた。
自ら老人の食物になろうとしたのだ。
たちまち老人は帝釈天の姿になり、
火に飛び込んだウサギの姿を月に映した。
そういうわけで
月の模様は、ウサギの求道の心を人々に知らせているのである。
エエ話や
そして、広隆寺へ。
受付の横の弁財天。
アングルにこだわって、鯉(右下にいる)も一緒に・・・と
池に接近してたら受付のおばさんに怒られた(笑)
社の中には、絡み合った阿吽の蛇が2匹・・・ムフフ( ̄∀ ̄)
聖徳太子のお堂の右横に、秦 河勝 さんのお堂。
承和3年(836年)に
広隆寺別当(住職)に就任した道昌(空海の弟子)は
焼失した堂塔や仏像の復興に努め、中興の祖とされています。
聖徳太子が、「吾死後二百五十年に一聖僧出て寺を建て
道を弘の大に仏法を興す。この僧は他人に非ず吾後身なり。」
と言い遺しているそうです。
この二百五十年後の僧が道昌に当たるとされているのです。
と、広隆寺紹介のリンク先に書いてあった。ふぅ~む。
文章の中に答えが書いてあるじゃないね~。
聖徳太子の転生は、空海=弘法大師なんじゃないの???
と、私は思いますー( ̄∀ ̄)
木島神社
鳥居をくぐってすぐに末社があったんだけど
そちらがまた・・・
稲荷が、白清社。その隣に白塚って・・・
この『白』が意味するものはなんだろう???
こちらの不思議は、この3つの鳥居が合体した三柱鳥居
池の中に立つカンジです。(今は水がないけど)
古代のエジプトやギリシャの神殿に見られる
水浴び場のようになっています。
祈りを天に届ける場所だったようです
下鴨神社
着いたのが遅くて、拝観はできなかった
でも、
瀬織津姫の社は見れたのでOK
↑ こちらは、駐車場そばの祓戸社。
車のお祓いをするそうですが、祓戸って、瀬織津姫でしょ?
↓ こちらは、境内の奥にある瀬織津姫社
やっぱり、水の上なのね
というわけで、
5月6日
5月7日の参拝記事を書きました。
あと、5月8日がありますので
おつきあいのほど、よろしくお願いしますm(_ _)m
6月15日
広島県 福山市でパドメ・ツアー決定です。
参加費はお一人3000円ですが
私の交通費を参加者の方々でワリカンしていただくということで
もう少しかかりますが
今のところ、10名様参加者がいらっしゃるということで
そう高くはならないと思います。
お近くの方で、参加ご希望の方は、
コチラへ ↓ ご連絡ください。
wisdomofpadme@mail.goo.ne.jp