はずかし日和

はずかし日和

弟にブログしたいと言うと、いいんじゃないと。
タイトルは姉の恥ずかし日和で決まりでしょと。
恥ずかしいことが前提になってしまった。


気づけば、葉桜だ。
花びらが散って、美しい。

「もう、いいよ。ゆるす。」

母の言葉をきいて、父は逝った。
さんざん苦しむことになった末、しかし、死までの最短距離を選んで、父は、すうっと、呼吸をとめた。

こんな日は、きっと訪れると思っていた。
しかし、今日明日とは思わなかったよ。

親を見送ることができたら、子としてそれ以上の責任はないと、入院した日に父は言った。
「俺のことは気にするな。面白おかしく生きろ。泣くな。」

誰にも言うな。
誰の悲しむ顔も見たくない。

人として非常に身勝手な男は、よく晴れた春の晩、開けた窓の隙間から、そよそよと入る風に吹かれながら、死んだ。

「面白おかしい人生だった?」
かつて聞いたときに、
「まあ、面白かったかな。」
そう答えていたことを思い出す。

父の人生を、面白おかしいものにしてくださった全てのかたに、彼の子として、心から感謝を申し上げます。
どうか、あなたの暮らしが、これからも、面白おかしい日々でありますように。



外を出歩くと、ものすごい強風。
昨日とはうって変わって、肌寒い。
いや、昨日がおかしかったのだ。

「今の父は、我々の知る父と同じ父なんだろうか?」
弟の言葉に首をかしげると、
「例えば風邪で体調が悪いときの精神状態と、健康なときの精神状態は違っていて、能力も違う。考えることも。」
「今の父は、例えば風邪の時と同じってこと?」
「そう」
尊敬する父親だから、と弟は言った。
「痴呆じゃない。麻薬で朦朧としているだけ。でも、いつもとは違う。」
「うん、そうだね。」

昨日はたくさん暴れた。
暴れたというか、動いたというか。
苦しくて仕方がない時に、身をよじったり、楽な方法をじぶんで探したいというのは当然だ。

押さえつけないで。

何度も繰り返し訴えた。
私たちは、繰り返し訴えなければならないほど、押さえつけ続け、行動を妨げ続けた。
薬が効いて、意識のレベルが落ちるまで、ずっと。

なんのために?
楽に死ぬために。

そのために父を含め、彼に係わる全員が力を尽くしていた。

あとで知ったことがある。

「押さえつけないで」

そのあとに、言葉があった。

父は、窓辺に寄って、なぜかガラス窓に頭を打ち付けた。
私も、それは見ていた。
なぜそんなことをするのか、わからなかった。
声がかすれていて、聞き取れなかったから。
呼吸が楽になることにばかり気を取られていたから。

押さえつけないで。

しかし、間近で押さえつけていた弟は、そのあとの父の言葉もきいていた。

「押さえつけないで。」

「そんなことよりも、もっと楽な方法がある」

病室は六階だった。

木々の枝先に新しい葉っぱが繁り始めた。
瑞々しく光を含んで、やわらかく萌え出る向こうに、豊平川が滔々と流れていく。
雪融けの水を含んで水量は多く、たぷんたぷんと、眠るような穏やかさで、きらきらと。
ああ、春だな。
気温は27度。
なんだろう、これは。
最高じゃないか。

父が入院した。
眠る薬を投与すると言うので、昨夜テレビ電話でさんざん話した。
おやすみ、と言って、深い眠りについたはずが、翌朝目を覚まし、おはよう、と母に父から電話がかかってきたという。
爆笑して、ジムニーのエンジンをふかせて、釧路を飛び出した。
トンネルを越え、山坂を越え、パーキングエリアをいくつも超えて、4時間半。

病室に着いた。
父はいた。
「大変だったね」
目を覚まし、掠れてほとんど聞き取れない声。大変なのは、そっちでしょ、と言うと、ふふっと笑った。
それから、少し話して、眠った。
会えて、話せて、よかった。
待っていてくれて、ありがとう。
親とはいつ何時でも、大変なものだね。



試供品をもらった。

なんでも、腸内の善玉菌を飼い慣らすのに必要で、豆の食物繊維が、云々という品物。

便秘薬を求めに薬局に行ったら、薬剤師のお姉さんに叱られた。


便秘薬ばかり飲んでいてはいけません。


それで緑の包みを渡された。

健康食品の健康被害が報道されている昨今、これは大丈夫かと思わないではないが、三回分なので試してみることにした。


ついで何やら勧められる。


善玉菌そのものを、腸内に投入するという薬。


「腸内環境を整えなきゃ、便秘が慢性化しますよ。」

「でも私、20年前から便秘なんです…」

「…(にこっ)」

薬剤師のお姉さんは微妙な笑みを浮かべつつ、時間はかかるがちゃんと効果は出るという。


とりあえず、試してみることにした。


「朝昼晩に、2錠ずつ飲むんですよー」


帰り際に、お姉さんは言った。

肩を叩いて、手でも振ってくれそうな勢い。



3日試してみた。

3日間、腸が活動を停止している。

栄養をつけて、沈黙する体力を養ったのだろうか。こちらの説得に応じる気配なく、ならばと投入したいつもの便秘薬にも屈することなく、ストライキを続ける、この事態。

話が違うよ、おねいさん…



珈琲おととん
という不思議な名前の喫茶店。
木造アパートの一階の一部分をぶち抜いた、奥暗いところに営業中の看板。
洞窟にでも入るような雰囲気で、しかし、木戸を開けると、広くて明るい店内。
こういうのを、うなぎの寝床と言うんだったっけ。
大きな窓から、光がさしている。
先客が一組。
どこに座ったらいいだろう。
「こちらでもいいですし、そっちのほうでもいいですよ。」
入り口からは死角の、誰もいない方の席を案内されれた。
トーストのセットには、コーヒーがついてくる。種類が選べて、すっぱくないのがいいと言うと、「じゃあ、幹コーヒーかしら、」と。

静かだ。

向こうの席のお客さんの声もほどよく遠い。
ジャズが流れている。
スタンダードかな。
艶やかな女声の、聞き覚えのある曲。

焼いたトーストに小倉が挟んである。
上に乗せたバターが、つうっと生地をすべっていくので、フォークで慌てておさえた。
美味しい。
あんこって、あったかいとこんなにもほっとするのか。
コーヒーの器が可愛くて、聞けば函館の窯元という。
「宇坂さんといってね、昔は益子焼きだったのよ」
「あら、今も益子焼きよ」
ごきょうだいかな、お店は女性ふたりでなさっている。
コーヒーはもっともっと、欲しい感じがした。
あんことコーヒーのエンドレスリピート。
また、行きたいと、珍しくそう思った。