コロナのニュースを聞くたびに、あの頃の自分を思い出します。

26年前、長女を産んだ時に、肺結核がわかりました。

ずっと風邪の症状は、あったんですけど、色んな検査もしたけれど、産むまで、わからなかった。

小児科の先生が、咳がおかしいと、レントゲンをとってはじめて肺結核とわかりました。

それからは、病院の手配ができるまで、私は隔離されました。

沢山の研修医達の前で、肺結核の病気が怖くて、泣いてる私に、先生は、「泣いたって、どうにかなるわけじゃないやろ!」と怒鳴りはりました。

病院の手配が済み、救急車で搬送される事になった私は、担当した先生方が、救急車の中で、「レントゲン、なんて説明しようか。」と相談してはる声が聞こえてきました。

搬送された病院の結核病棟は、あまりにも殺風景で、担当の先生は、病室をみて、涙ぐんではりました。

それから、治療がはじまったわけですが。

40度の高熱、捨てれない母乳。

アイスノンで、熱をもつ胸を毎日冷やす日々。

そんな中で、赤ちゃんのお世話を交代でしてくれてる母と姑さんから、「オムツがない、ミルクがない、お金がない」と病棟に電話がくる日々。

私にあう薬がまだ決まらず、悪くなる一方で、とうとう血を吐くようになりました。

毎日、ベッドの上で、泣いてました。

天井ばかりを見上げる日々。

ようやく薬が決まり、少しずつ体調も良くなってきた矢先に、切迫早産で、同室だった人が入院してきはりました。

「あんたのせいでうつったんや」と言われました。

死にたいって思いました。

消えたいって思いました。

看護婦さん達が、その方に、話をしてくれました。

「誰も悪くないし、誰も責めたりできないんだ」って事を。

私は、それから4ヶ月ほどして、退院できました。

退院から、1年後、姉が肺結核を発症しました。

家族から、責められました。

あんたのせいやって。

家族の縁も、切るって言われました。

肺結核になった事で、失ったことは、沢山あります。

でも、変わらずにあったのは、友達でした。

子供でした。

そして今があります。

ニュースで、コロナにかかった人、医療機関で働いてる人の誹謗中傷がある事をしり、あの頃の自分を思いだします。

本当の画像かわからないけど、コロナで、家を引っ越した人の話が書いてありました。

画像で、家を載せてる事、報道の在り方が、すごく怖いし、心が痛みます。

そして、私はあれから、26年目を迎えます。

私の願いは、子供達が自立できる日が来るまでは、元気でいたいって事でした。

1番下が、今年あわせたら、後2年で、高校卒業なんですね。

よかった、生きてこれた。

そして、私も、その時には、50歳を迎えます^_^。

その事に、感謝の気持ちで、今年、来年と、過ごしたいなと思います☺️。

まとまりのない文章で、ごめんなさい🙏

写真は、切り枝から、花が一輪咲きました^_^。