教祖は、綿木の実から綿を集める時は、手に布を巻いてチュッチュッとお引きになったが、大層早かった。又、その綿から糸を紡ぎ機を織るのが、とてもお上手であった。

 糸を括って紺屋へ持って行き、染めてから織ると模様が出るのであるが、中でも最も得意とされたのは、玉に分銅、猫に小判などという手の込んだ模様ものであった、という。