今回は妊活とは少し離れた
私の今の生活を書いてます。
私は今、働いていないため
割と近くに住む
高齢で体の弱ってきた
自分の母方の祖父母の元に
旦那の了承も得て
頻繁に通うことがてきております。
祖父は90歳で
元々背は高くなかったのですが
より小さくなり
ガリガリになりました。
春頃から頻繁にこけるようになり
顔面からこけたことも何度も。
祖母はまだしっかりしており
ゆっくりながらも
買い物も出来、家事も
ある程度してくれています。
祖父の毎日の習慣は
近くの診療所へ行き
血圧や身長体重を測ること

コケるのはだいたいその行き帰りの道
だから直ぐに診てもらうことができる。
何度も繰り返しコケるのも
もう年だからだと諦めていたが
ある日撮った頭のCTで
ことは動いた。
頭蓋骨と脳の間に
血と水が貯まっていると‥
硬膜下血腫と呼ばれるものだ。
入院して手術することとなった。
これが7月の末頃。
丁度私が一回目のAIHをした後。
手術は簡単なもので
入院も一週間程で退院できた

経過観察のため
二週間後にCTでしたが
お盆休みのため
3週間後にCT。
脳萎縮が元に戻っておらず
再び水が溜まっているとのことで
即入院となった。
翌日手術し、9日で退院した。
これまた私の2回目のAIH頃。
そして先日
いつものように祖父母の家へ
向かっている途中
診療所帰りの祖父を見かけた。
後ろ姿は痩せ切っており
歩き方もヨチヨチ歩き
咄嗟に嫌な予感がした。
慌てて祖父の元へ駆け寄った。
足が上手く前に出ないと言う。
ダメだ。
慌てて仕事中の母に連絡をした。
実は2日前にも
何かおかしい気がするから
来月始めに予定している検診日を
早めれないかと母に話していた。
母はあまりに焦り必死の私に
分かった!!
と言い、病院やケアマネさんに
連絡してくれた。
病院の方にも
直ぐに診ますし連れてきてもらえますか
と言っていただき
午後から祖父を連れて病院へ行き
CTを撮ったところ
変わらず脳萎縮は戻っておらず
あろう事か、今回は
水ではなく血が溜まっているという。
ただ血管が多いので
出血箇所の特定は難しいと言われた。
このままでは帰せないと
その場で入院となり
翌日手術となりました。
これは3回目のAIHの一週間後。
私がAIHする度に
祖父が手術してるみたい。
色んな意味で
もうAIHしたくないなと思う。
祖父のように高齢者の方の
硬膜下血腫は
転けた拍子に頭をぶつけたことが
発端となり引き起こされることが多い。
気づくのは大体頭をぶつけてから
二ヶ月以内が多いらしい。
それまでの症状として
歩行困難
手の動きの変化
尿漏れ
呂律が周りにくくなる
などがある。
祖父はまさにそれで
歩き方がおかしくなり
足が上がらなくなっていた。
お箸も持てなくなっていた。
お漏らしもよくした。
常に側にいる祖母は
側にいすぎてて気づかないみたい。
後から言われてみれば‥と言う感じだ。
気づけて良かった。
そう思ったけど、
毎月同じように手術を
しなければならないなんて‥
主治医の先生も
3度もするのは初めだということ。
この先生以前までは
とある病院の救急外来に勤務されており
そのため、
手術の経験数は相当なものだと
私は勝手に思っており
信頼しきっていたから
三度も??またなの??
と思ってしまった。
でも信じるしかない。
先生のことも祖父の回復力も

無事に入院し手術が決まった今回
私は肩の荷が降りホッとしたのか
声帯炎を起こしてしまった。
昨日まではかろうじて話せてたが
今は声も出せないし
喉を締め付けられてるように苦しい。
D20だしまだイケるよね?!
と抗生剤も飲んだ。
長引かせたくないし
D24までには完治させたい。
土日は母や妹が休みなので
祖父・祖母は頼んで休んでます。
明日からはまた祖父の病院と
祖母の家へ行ききを繰り返すことになる。
専業主婦だけど
意外と家に居なくてバタバタしてる。
まー昼寝してる事もあるけど(笑)
入院中は
基本看護婦さんがいてくれるから
最低居るのは食事の時のみ。
上手く食べれず詰まらせたり
むせたり、吐いたりするので
目が離せない。
祖母はゆっくりながらも
マイペースでやってくれるので
少し掃除や洗濯を手伝うのと
重いものを運べないので
要りそうな買い物をするくらい。
あとはボケ防止の話し相手かな?

介護なさってる方に比べれば
本当楽なものです。
私が心配性なこともあり
祖父母が気がかりでなりません。
そんなんで
子供出来たらどないすんねん



って周りにも言われます

何度も言いますが
二度ある事は三度ある
ではなく!
三度目の正直





となりますように
神様
仏様
ご先祖様
皆様
色んな偉い方々
どーぞどーぞよろしくお願いします
