はい、毎度お久しぶりです。Yukíです。毎回毎回、前のブログから結構時間を空けてしまうので、お久しぶりですと書くことになってしまいます。いや、書き出しって難しいんですよ。どうしたらいいんですか?そんなことはどうでもよくて、今回はタイトル通り「2024年2月に能登半島に行った話」です。
…と、書いていたのですが投稿が思ったより遅れたので追記です。あけましておめでとうございます!
さて、念のために2024年の年始を振り返っておきましょう。今この記事を読んでいる皆様はなんら問題なく覚えていることでしょうが、何年も経ってからこの記事を読む人がいないとも限りません。前提知識というのは書いておいて損はないでしょう。とはいえ、ウィキペディアなどで済むことをただただ書いても仕方がありませんので、私視点でお送りいたします。
2024年、1月1日。高校生として最後の年末年始を過ごしていた私は、何をしていたんだろう?まあのんびりと過ごしていたんじゃないですかね。1年以上前のことなので、そんなに覚えていないです。さて、初詣を済ませた後、当時の私は受験生だったこともあり、学問の神様とされる菅原道真の祀られる、滝宮天満宮に家族でお参りに行っていました。16時頃にも関わらず、いざついてみるとかなりの行列でして、列に並びつつスマホをポチポチしていたところですね。Yahooニュースからの通知が目に入ったのをよく覚えています。「津波警報」の4文字です。は?と。何かの間違いだろうと。…しかし、しばらくすると𝕏に倒壊した建物や津波の様子が投稿され始め…はい、能登半島地震ですね。まさか元旦にそんなことが起きるとは思わないのでとても衝撃的な災害でした。亡くなった方々には心からご冥福をお祈りするとともに、一刻も早い復興を願っています。観光に行きたいのでね、能登半島。
もう一つ前提知識を。この頃北陸で進んでいた大きなプロジェクトがありまして、そう、「北陸新幹線敦賀延伸」ですね。それに伴い敦賀から北では在来線の特急列車の運行はなくなったのですが、この区間は当時物凄い特急街道でして。どれくらいかと言いますと、繁忙期には平均20分に一本程度、タイミングによっては10分程度しか間隔をあけず9両や12両の特急列車が全力疾走してくるという、とんでもない地域でした。私は2022年末に初めて北陸に行ったのですが、その時に北陸の良さを知り、以降頻繁に北陸に行くようになったのです。
そんなわけで2024年も北陸には何度か行きました。特に、2024年3月に北陸新幹線が延伸すると決まっていたこと、また大学受験が早めに終わっていたため時間があったことから、2023年に比べるとかなり頻繁に北陸に行っていたはずです。とはいえ2024年1月はまだ高校の授業があったりで旅行に行ける状況ではなく、年明け最初の北陸は2月13日になりました。そしてこの時、既に能登においてある程度公共交通機関が復旧していたため、「行けるな、行こう」…ということにしたのでした。
そんなわけで、最初に乗ったのは…北陸新幹線だったかな?金沢の宿をとっていたと思うのでそのはずです。降りたのは新高岡駅。…とここまで書いて気づきました。違います。IR線とあいの風とやま鉄道で高岡駅まで行ったのでした。高岡駅からは氷見線・氷見行きに乗ります。
もうこれがすごい景色でして。富山湾を挟んだ向かい側に見える立山連峰の景色!とても美しい景色だったのですが、写真ではどうもうまく伝えれないので、本当に是非とも乗りに行って欲しいです。どうも有名な景色なようですが、知らずに行ったので心底感動しました。車内でも歓声が沸いていましたね。
氷見駅
氷見の街からもその景色は見れまして、なんというか由来の分かりやすい地名ですよね。あくまで一説ではあるらしいのですが、「立山連峰が氷のように見える」ということで氷見という地名になったという説も実際あるようです。
氷見からの景色
さて、この氷見の街は富山県内なのですが、能登半島の付け根に位置しています。ですので能登半島地震の影響はしっかり受けており…
駅から出て少し歩くとこんな感じでした。道路にヒビが入っているのがわかると思います。立ち並ぶ民家にも何やら張り紙が貼ってあり、どうも家屋がどの程度壊れているかの審査?が行われているようでした。
とはいえ氷見では市場や道の駅が営業しておりましたので早速海鮮を頂きました。北陸の海鮮料理は本当に美味しいです。
なぜかこれしか写真を撮っていない
また、もう1つ頂いたのがこちら、氷見うどん。
氷見うどん
私は香川県民ですのでうどんと言えば讃岐うどんなのですが、恐らくこの時初めて讃岐うどんではないうどんを食べたと思います。非常に柔らかいのと、量が多いのが印象でした。コシなんてものはないに等しかったのですが、それはそれで独特な食べ応えで美味しかったです。こういううどんもあるのか、と。異文化交流ってやつですね(?)
さて、氷見は能登半島の中でも入り口も入り口です。この氷見からは途中の「脇」というバス停でバスを乗り継ぐことで七尾まで行くことができまして、この時すでに運行を再開していたんですよね。と、いうわけで…
七尾の街まで行ったのです。
衝撃的な光景でした。…という言葉で済ませていい気はしませんが、とにかく衝撃的でした。傾いた信号機、止まってしまっている水道。もはやどう撮っていいのかもわからず、というか衝撃的すぎて撮影をやめてしまったので写真には残していないのですが、他にも様々なものをみました。地面…当然舗装されている地面が大きく波打っており、建物はあからさまに傾いていました。マンホールが地面から突き出したような状態になっていたのも印象的でした。倒壊した建物もありました。ああ、本当にこういう風になるんだな、と。恐ろしいのはまだ七尾は能登半島の中腹くらいでしかないことです。…七尾の時点でそこまでの光景になっているとは、正直思っていませんでした。
そして。
私はそこまで地震に詳しいわけではないので震源からの距離と被害の大きさがどう言った関係なのかは良く知りませんが、近づけば近づくほど被害が大きくなるのは想像に難くありません。実際、氷見よりも七尾の方が目に見えて被害は大きかったわけです。
……ということは、さらに北の輪島、能登町、珠洲などの被害の大きさを思うと………
自然災害というものは、恐ろしいですね。
この文章を読んで、それらの地域が被災しているのはニュースで見れば分かるだろ、と思うかもしれませんが、ニュースで見るのと実際目でみるのとでは衝撃の大きさが違います。…というか、衝撃は視覚だけから来たものではないのかも知れません。波打った地面を自分の足で歩いてみて、より災害の恐ろしさを感じることができたのは事実です。私も、衝撃を受けつつもこれを写真などの媒体だけで伝えるのは無理だな、と思いました。
また、この翌月には北陸特急のラストランに乗車するなどしており、その中で和倉温泉の街も訪れました。和倉温泉は地震の前の2022年にも来たことがあったので…知っている街の姿が変わってしまっているのも、それはまた衝撃的で、悲しい光景でした。
私の実家のある香川県も、近いうちに南海トラフ地震により被災するでしょう。ため池の多い香川県においては、液状化現象は発生しやすいものと思われます。ですので、この時の経験はまるで…いつの日か、私の非常に身近で起きるであろう大災害を予習したかのような感覚でもありました。そうなれば当然悲しいですし、被害が小さければいいな、とは思いますが…大自然の脅威を根本的に止めることは、まだ21世紀の人類には叶いません。きっと、どんなに技術が発達してもそれが叶うことは早々ないでしょう。どんなに防災を徹底しようと、免震などの技術を取り入れようと、地震を初めとした災害による被害を完全に0にすることはできないと思います。
我々人類は…日本人は特に、ですが…偉大なる大自然と、永遠に戦っていかなければならないのです。
(よし、いい感じに締めくくれたな………)
備考 : この後は普通に七尾線で金沢に戻りました
















