私が学生だった、今から約20年前。

 

その頃からすでに
「日本は“心のバリアフリー”が遅れている」
と言われていました。

 

そこから20年。

障害のある人が社会で生きやすくなってきた部分も
たしかにあると思います。

 

でもどこか、
それは表面的というか、

“形が整ってきた”だけのようにも感じていました。

 

制度や仕組みは少しずつ増えてきたけれど
「人と人が自然に受け入れ合うこと」は
正直、あまり変わっていないように感じるんです。

 





「みんな違ってみんないい」
 

この言葉って

テレビや企業広告、SNSでもよく見かけるし
 

誰かに対して
「あなたはそのままでいいんだよ」って
伝えることもありますよね。



 

でも、

”それって本当に、心からそう思えているのかな?”

誰かをなぐさめるために言ってる?”

”世の中的に言わなきゃいけないから言ってない?

 

そんなふうに、いつもなんとなく違和感を感じていました。





 

例えば職場で
「あの人、もっとこうだったらいいのに」
そんな言葉を耳にすることもある。


 

それってきっと心のどこかでは

「みんな同じようにできるのがいいよね」

「あの人はダメ」
そんな前提があるからなのかな・・と思うんです。

 



さらにそれってきっと、

自分に対しても、「自分のこんな個性がダメ」「周りと同じようにできない自分はダメ」

と言っているから、それを他人にも求めてしまうのだと思うんです。



 

つまり、表面的にはみんな違っていいと言えるのに、

根本的に自分に対してはそう言えていないということ。

 



 

本当に大切なのは

「みんな違ってみんないい」と
まず初めに”自分に対して思える”こと。


 

「どんな私でも大丈夫」って
自分に対して感じられること。

 

 

でも日本では

「あなたは大切な存在だよ」
「あなたの個性そのままで価値があるよ」

 



う心から感じられる関わりや教育は
家庭や学校でもまだ多くはないのかもしれません。

 

 

だけどそれは誰かが悪いわけではなくて、

大人たちもまた
そうやって育てられてこなかったから。

 



自分の価値を感じることや
それをどう伝えたらいいのかを知らないまま
大人になっている人も多い。

(私もそうでした・・!)

 



だから

自分のことを大切に思えないまま
誰かに「あなたはそのままでいいよ」と伝えようとすると

どこか苦しくなってしまう。

 



自分の個性を否定したまま
人の個性だけを認めることって
本当はとても難しいから。

 



だから私は思うんです。



心のバリアフリーが広がらない理由は

「優しさが足りないから」ではなくて

“自分を大切にする土台”が育っていないから



なのかなと。

 




自分が自分に対して

「どんな私でも大丈夫」
「それでも価値がある存在だ」

そう思えること。

 



その土台があってはじめて

人の違いを受け入れたり
大切にできる社会になるんじゃないかなって思います。



 

だから私は

どんな個性があっても
自分のことを価値ある存在だと思える人が増えるように



“心の土台”を育てることを
広げていきたいと思っています🌿