撮影の合間の楽屋。
メイク直しも終わり、数人のメンバーがソファや床に座ってリラックスしている。
ふと、隣にいた保乃が私のほうを見て、少し首を傾げながら声をかけてきた。
「そういえば……理佐さんと由依さんって、いつから付き合ってたんでしたっけ?」
スマホをいじっていた手を止めて、保乃を見る。
「……ん? あー、もう……2年半ぐらいかな」
「そんな経つんですね、すご……。でも、それって誰が告白したんですか?」
「え?」
「いや、だって。付き合ってるのはみんな知ってるけど、どうやってそうなったかは、ふたりとも全然話さないじゃないですか」
一瞬、あの頃の光景が頭をよぎる。……まあ、隠し通すようなことでもないか。少しだけ笑って、私は口を開いた。
「……まあ、由依から、かな」
保乃の目が一気にまんまるになる。
「え、え、そうなんですか!? ゆいぽんさんから?」
「うん。最初はほんと、軽い感じだったんだけどね。……由依には内緒だよ?」
「もちろん! 任せてください!!」
私はスマホを置いて、遠い日の記憶を辿りはじめた。
あの頃
まだ結成して半年ほどしか経っていなかった頃。
由依は、唐突に、でも淡々と私に言葉を投げかけるようになった。
「理佐、今日の髪型……めっちゃ似合ってるね」
「今日の理佐のダンス、私すごい好きだった」
最初は、ただの褒め言葉だと思っていた。
でも、それは次第に熱を帯びて、形を変えていった。
「好きです」
「今日も好き」
「……やっぱ無理かもしれない。好きすぎて」
楽屋で、帰り道で。彼女は息を吸うように「好き」と言った。
私はそれを、いつもの推しメンに対する冗談みたいなノリだと思って、笑って受け流していた。
でもある日、ふと気になって尋ねた。
「ねえ、なんでそんなに言ってくるの? からかってる?」
その瞬間、由依の足が止まった。
真っ直ぐに私を見つめるその瞳が、あまりに真剣で、心臓が跳ねた。
「……ほんとに、好き。笑って流されると、結構……しんどいんだよ」
声は低くて、少しだけ震えていた。
冗談めかした空気なんて、どこにもなかった。
「私は、理佐のことが、本当に好きなの」
私は言葉を選べなかった。
大切に思ってはいるけれど、同じ熱量で返せる自信がなかった。
「……ごめん。由依のこと、そういうふうには、まだ考えられない」
由依は「そっか」とだけ言って、無理やり作ったような笑顔を浮かべた。
その笑顔が、泣き顔よりもずっと痛々しくて。
「ありがとう。ちゃんと答えてくれて」
そう言って去っていく後ろ姿が、記憶にこびりついて離れなかった。
それからも、由依は好きと言い続けた。
でも、あの日を境に、彼女の言葉にはどこか諦めのような、必死に自分を繋ぎ止めているような危うさが混じるようになった。
そして、あの日。
夜遅くの仕事帰り。疲れ切った身体で二人きりになったとき、彼女は消え入りそうな声で呟いた。
「……もう、これで最後にするから」
その言葉が落ちた瞬間、夜の空気が凍りついた気がした。
心臓を直接、冷たい手でぎゅっと握りつぶされたような、嫌な衝撃が走る。
「……好き。もう、これ以上言っても意味ないの、わかってる。理佐を困らせてるだけなのも、わかってる。でも……どうしても、どうしても好きなの」
彼女の指先は、感覚を失っているんじゃないかと思うほど、自分の服の裾を強く、白くなるまで握りしめている。
俯いた顔から、逃げ場を失った涙が大きな雫となって、ポタポタと地面を叩いた。
「どうすればいいの……? どうすれば、理佐の特別になれるのか……ずっと、ずっと考えて……でも、何もできなくて……っ」
「私には、何もなくて……。理佐の隣にいてもいい理由なんて、どこにもなくて……。ただ、好きなだけなの。これ以外、何もないの……っ」
喉の奥から絞り出すような、切迫した声。
それはもう、告白なんて甘いものじゃなかった。
「もう、無理……。お願い、笑わないで……。嫌いになってもいい。軽蔑してもいいから。今の私を……最後でいいから、ちゃんと、私を見て……」
「おねがぃ……っ、理佐……っ、」
最後の方は、もう形にならない吐息だった。
消え入りそうな、か細い、でも誰よりも必死な助けを求める声。
今にも崩れ落ちそうなその肩が、視界の中で何度も激しく揺れている。
私が何も言えずに立ち尽くしていると、その沈黙は由依の心に、最後の一突きとなって突き刺さったようだった。
「……っ、ごめん……ごめんね。……そうだよね。迷惑だよね……っ」
彼女は、溢れる涙を拭うことさえ忘れて、ボロボロと泣きながら後ずさりした。
その瞳に宿ったのは、希望すら持てないほどの深い絶望。
私の一言で、彼女がこのまま壊れて、粉々になって消えてしまうんじゃないかという恐怖が、私の全身を貫いた。
「……言わなきゃ、よかった……。こんな姿、見せたくなかった……。もう、明日から、どんな顔して……理佐に会えばいいのか、わかんないよ……っ」
自分を責め、震える声で言葉を紡ぐ彼女。
その目から光が消えていくのが、手に取るように分かった。
私のことが好きすぎて、想いが強すぎて、彼女はもう自分の居場所さえ見失っている。
「……ねえ、理佐……っ。……嫌い、って言って……? じゃなきゃ、私……っ」
縋るような、でも突き放してほしいような、限界を超えた声。
その瞬間、私の思考は真っ白になった。
理屈じゃない。ただ、この子を今すぐ抱きしめないと、二度と取り返しのつかないことになる。
私はなりふり構わず一歩踏み出し、逃げようとする彼女の細い腕を掴んで、そのまま自分の胸の中へ力任せに引き寄せた。
「……行かないで!!」
叫んでいた。
私の腕の中で、由依はびくんと大きく肩を跳ねさせ、息を止めた。
「……っ、理佐……?」
私の腕の中で、由依の声が震えている。
これまで何度も彼女から向けられてきた好きという言葉。それをどこか遠い場所の話だと思っていた自分が、情けなくて、怖くて、たまらなくなった。
彼女の体は驚くほど細くて、いまにも折れてしまいそうだった。
あんなに強くて、ステージの上では誰よりも凛としている由依が、私の胸の中で子供のように泣きじゃくっている。その体温が、涙の熱さが、ダイレクトに私の肌に伝わってきて、胸の奥が焼けるように熱い。
「行かせない。……どこにも行かせないから」
私は腕に力を込めて、彼女をさらに強く抱きしめた。
由依の心臓の音が、トク、トク、と速いリズムで私の鼓動と重なっていく。
「……なんで、っ……理佐、苦しいよ……っ」
「苦しくても離さない。……ごめん、由依。私がバカだった。由依がどれだけ本気で、どれだけひとりで傷ついてたか、分かろうとしてなかった……っ」
私の視界も、いつの間にか涙で歪んでいた。
特別になれる理由がないなんて、そんな悲しいこと言わせたくなかった。
私の中で、彼女はもう、とっくに代わりのきかない存在になっていたのに。それを友情や仲間意識という便利な言葉で塗りつぶして、彼女の覚悟から逃げていたのは、私のほうだったんだ。
「嫌いになんてなれるわけないじゃん……っ。由依がいない毎日なんて、もう考えられないんだよ……!」
私の叫びに似た告白に、由依が息を呑むのがわかった。
彼女の震える手が、恐る恐る、私の背中に回される。
「……ほんとに? 迷惑じゃ、ないの……? 無理して、優しくしてくれてるんじゃ……っ」
「無理なんてしてない! 私が……私が、由依と一緒にいたいの」
私は彼女の肩を掴んで、少しだけ体を離した。
涙でぐちゃぐちゃになった由依の顔を、真っ直ぐに見つめる。
「好きだよ、由依。……私と付き合って」
由依の瞳が、大きく揺れた。
絶望に染まっていたその目に、小さな、でも確かな光が灯る。
「……っ、……! 本当にいいの?」
「うん、由依じゃないとダメなんだ」
「っ、……うれしい、よろしくお願いします。」
それは、あまりに不器用で、遠回りして、ようやく重なった二人の本当の始まりの音だった。
現在
「……っていう感じ」
少し照れくさくなって話を終えると、保乃はぽかんと口を開けたまま固まっていた。
「……え、それ、ほんまに実話ですか……?」
「ほんとだよ。誰にも言ってなかったけどね」
「えっ……めっちゃ泣きそうになりました……由依さん、ガチすぎますやん……」
「ふふ、ね。由依、意外とああいうところ真っ直ぐだから」
「かわいい、ほんまにかわいすぎる。一途すぎますよ!」
「ね。……ほんと、可愛いよね」
「あっ、もしかして惚気けてます?」
「まあ、大好きだからね」
私がそう言って、少し緩んだ顔をタオルで隠そうとした、その時だった。
ガチャッ。
「え、何の話してるの?」
絶妙なタイミングで、本人が楽屋に戻ってきた。
保乃が一瞬で石になり、私は不自然に視線を逸らす。
「……いや、別に」
「うそ。今、絶対なんか言ってたでしょ」
由依がじっと私を見つめる。その鋭い洞察力には勝てそうにない。私は観念して、小さく息を吐いた。
「……ごめん、由依」
「……なに、もしかして」
「あのときの話……保乃に、ちょっとだけ、話しちゃった」
一瞬の沈黙。
それから、由依の顔が耳の先まで真っ赤に染まっていくのがわかった。
「――はぁ!? 理佐、うそでしょ!? あれ絶対言わないって約束したじゃん!」
「いや、なんか……流れで、つい……」
「ほんっっっとに無理! 保乃、今の忘れて! 今すぐ記憶から消して!!」
「ひぃぃ……ごめんなさい、でも、めっちゃ感動しました……!!」
「いいから忘れてってばー!!」
怒って詰め寄る由依と、平謝りする保乃。
私はそれを見ながら、少しだけ得意げな気分でコーヒーを啜った。
秘密のはじまりは、もう二人だけのものじゃないけれど。
あの日の彼女の涙も、今のこの真っ赤な顔も、全部ひっくるめて愛おしいと思っているのは、世界中で私だけだ。