先程、近所の公園でおじさんがベンチに座ってお弁当を食べていたのですが
食べる前にしっかりと「いただきます」と声に出していて、なんかその姿が凄く凛々しくて「あのおじさん、カッコいいなぁ」と思ったんですよ。
まあ単にそれだけの話なのですが、外食等で1人で食事していると手を合わせる事はあっても、なんとなく恥ずかしくてきちんと「いただきます」と声に出すことはないと思う。
少なくとも自分はきちんと言えていないなと。ちゃんとしないとなぁと思いました。
というのも、ちょっと前に
家畜問題や毛皮の生き剥ぎで「現代人は、残酷過ぎるんじゃねえか?」と言って
肉食反対!毛皮反対!と躍起になっている記事を見かけたので、これに関しては一言いいたいなと。
(確かに家畜の殺傷の仕方は問題がある場合もあるし、物欲がもともとない自分は、そんなに毛皮いらねえよと思っているのは前提です)
何かというと、反対している人の意見に「全ての命は尊い。肉食、毛皮は辞めて人道的に生きるべきだ!」的なものがあったんですよ。しかも結構な数似たような意見があったんで、強烈な違和感というか、気持ち悪さを感じました。
特に「人道的に!」という部分。
おい、おい。調子に乗るな。という感じでしょうか。
そういうお前は、食料にするでもなく、毛皮にもせずに、ただ気持ち悪いからという理由だけでゴキブリを殺してんじゃないの?
ゴキブリなら踏みつぶしても、ガス殺、薬殺はOKなの?
植物ならOKなの?植物にも意志はあるよ。と言いたい。
人間は生きる為にいろんな生命(植物・ウィルス等含め)を殺傷し、食べなくてはならないし、自分たちを守っていかなくてはならない。
もうこれは、仕方の無いことだと思います。
命の循環を含め、古い物は朽ちて新しい物が生まれる、宇宙の「循環運動」という大原則からはどうやっても逃げられないからです。
他の生物の殺傷を残酷と言うのであれば、生きる為に残酷な行いをせざるを得ない人間は、もう“残酷な行為”を義務づけられた存在だと言えます 。
ここの葛藤が抜けて、あたかも聖者のように「命を大切に!人道的に!」と声高らかに言っていることこそ、人間を過大評価して謙虚さを失っているように思います。
当然、そこを踏まえた上で問題定義している方もいますし、そういった方の意見は確かに同意している部分も多々あるので、議題自体を完全に否定している訳ではありません。
あくまでも「我こそが人道的だ!」と叫んでいる方に、それはちょっと話が違うだろうよ、根本を見つめて謙虚さを持ってからこの問題を見つめようよ。と思うのです。
話は冒頭に戻りますが、そんなことが最近あったので、おじさんのその行為が目に留ったんだと思います。そして食事の前には料理を作ってくれた人、そしてこれから食す生命に「(命を)戴きます」とちゃんと言おうと改めました。
もちろん、だからと言って、食べられる生命達が「うん、ありがとう!美味しく食べてね♡」みたいなことは思わないに決まっていますが、自身のマインドの美徳としてこの行いは美しいと、最近より強く感じています。
「いただきます」に該当する外国語はないというんだから、これは素晴らしい日本の文化であり、言葉なのだと思う。