シーオン過去曲ライブ
シーオンの過去曲ライブ(2部)に参加した。
自分はこれを1番の目当てにしてパシフィコワンマンのパートナーチケットを購入した。
自分のシーオン歴は1年ちょっと、無料ツアーのファイナルで初めてシーオンを見て、アルバムSTOR;ESの完成度と、それに負けないメンバーのアツくクオリティの高いパフォーマンスに魅了され現在に至る。
なので今回のセトリの中でリリースのタイミングに居合わせた曲は一つもないのだが、とても楽しく、永遠→せめてもう一度の流れは少し泣きそうになった。
しかしながら感じたことがひとつあって、
それは、この当時のシーオンに出会っている人が、アイドルフェスに来るようなタイプのアイドルファンか、プロレスファン(ZERO1)か、リリイベでたまたま通りかかった人か、おしゃれイズムをたまたま見ていた人か、SNSかyoutube等でおすすめに出てきた人かに限られていたこと(もちろん例外はあると思うが)。
少し話は変わるのだが、
アイドルまたアーティストにとって過去の曲縛りでライブを行うという意味。
過去曲とは?「新曲」の対義語としてとるなら「旧譜」あたりが正しい表記なのでは。
「過去」と銘打つことによって、今後やる可能性は限りなく低いということを表現したいのであれば、正しい表記だといえる。
しおんさんがMCで言っていたように、「歴を重ねるほどに方向性やコンセプトが固まり、メンバーの技術が向上しているため、新曲が1番今のかっこいいシーオンを見せることが出来るから、結果的に新しめの曲でセットリストを組むことになる(意訳)」
むしろ過去曲はやらなくなるのが至極当然な流れであり、むしろ好ましいとさえ言える。
アイドルとファン視点での「過去曲」をやる意味
アイドル視点からの「過去曲」をやる意味
誰が言い出したはわからないが、「アイドルは成長を見守るコンテンツ」だと言い、一番いい時に解散するのがよいとされている。(BiSHとか℃-uteとか)
また大森靖子はアイドルを「成長って残酷なの そうだってお金払って 見守りたいのは成長過程という自分殺戮ショー【CUTTING EDGE(ZOC)】とも表している。
そういった意味では「過去曲」をやることによって成長度を端的かつストレートにファンに見せることができる。
2~3年周期でやるのが効果的なのではないかなと思う。
ファン視点の「過去曲」をやる意味
ここは少し自分語りが多くなります。
「赤い公園」というバンドがとても好きで、リーダーであり作曲者であった「津野米咲」はもうすでに他界しており、2代目ボーカル石野理子は俳優業や「Aooo」というバンドを結成、ベース藤本ひかりは「秋山黄色」や「粗品」のサポートベースをしており、ドラムの歌川菜穂は最近ドラマーとして復活した。
直近で日向ハル(フィロソフィーのダンス)生誕祭で石野理子が赤い公園に入る前に所属していた「アイドルネッサンス」の「前髪」を披露したという。本人曰くおよそ7年ぶり。
また歌川菜穂は「ゲシュタルト乙女」というバンドのサポートに入った際、「Journey」(赤い公園)を披露した。解散してからはやっていないはずなのでおよそ4年ぶりなはず。
藤本ひかりは披露こそしていないが、インスタのストーリーで自身の記念日等では赤い公園の曲を挙げている。
SAKKA FES vol.2ヤマモトショウでは、「リルネード」が一夜限りの復活。
また「ふぇのたす」や「うそつきトマト」が復活(解散をしていたわけではないが)。
ちょっと話は逸れるかもしれないが、アプガのセルフカバーも。
最近になって自分の周りで過去曲の復活が多く、少し意味を考えてみた。
ファン視点ではもちろん単純にやらないはずの今日をやってくれるのはとても嬉しいことだが、本質はそこじゃない。
忘れないでいてくれた事。それが一番なのではないかと思う。
本人たちにとってはただの一曲かもしれないが、誰かにとっては人生を救われた一曲かもしれないし、人生を変えた出会いの一曲かもしれない。それを忘れていないでくれた事の「事実」が一番嬉しいのではないかと私は考える。
シーオンの話に戻ります。
上記のように最近自分周りの過去曲復活があったために、こういう考え方をしていた。
しかしシーオンの過去曲ライブで一番強く感じたのは「過去の肯定」だった。
これを見ている人は周知の事実であるが、シーオンは一時期活動がストップしており、その時のことをいつか肯定できる日がくればと「心の声」という曲が生まれた。
「心の声」を聴いたうえで今回のライブを見ると、アイドルフェスやプロレスのリングの上でやってきた事への「肯定」を強く感じた。
もちろん肯定するだけでなく、確かな技術の進化をもってファンを魅了した。
8年間腐らず頑張ってきて、やっとここまで来たからこそ出来た「肯定」。自分はそこに強く感情を抱いた。
やっとここまできたからこそ、この曲たちは日の目を浴びることが出来た。
過去曲に興味を持たせるほど新曲のクオリティがあること。
今のシーオンに魅力があること。
そこが一番なんじゃないかと思う。