ブログが前後したけれど
1月8日は、モモがうちの子になった日。


そして、野犬だったために
情報が何もなくて
同時に誕生日とした日でもあるデレデレ


といっても、
一昨年の5月28日に旅立っているモモ犬


生きていれば14歳だけれど
永遠に12歳のままだおすましペガサス


前回のブログにあるように
父の旅立ちもあり慌ただしくしていたけれど


モモを迎えたこの日を
忘れることはなかったニコニコ



愛しいモモ。


今でも毎日思い出すし
家族の会話にも出てくる照れ



あたしにとっては
三女のような存在で


紛れもなく家族だったから


旅立った今も
歳を数えるのは当然のこと。


いろんな想い出や
学びを与えてくれた
とてもとても大切な存在だったなお願い


そのモモからのたくさんの学びが

父の旅立ちにも
たくさん役立ったと思う。

とても
ありがたいことだ乙女のトキメキ




さっき、
チコを散歩していたら
初めて小さな白柴ちゃんに会った。


飼い主さんに挨拶して

ハーネスを見たら
「モモ」って書いてあった🐕


最近気難しくなってきた12歳のチコも

その白柴のモモちゃんに怒ることなく
お互い仲良く嗅ぎ合ってた😆




そこでサヨナラすればいいのだけれど

あたし、
他のワンコニャンコも好きなもんだから

「モモちゃん💛」
「モモちゃんて言うんだね〜ちゅー」と
白柴モモちゃんを撫で回してたら


嫉妬の塊のチコが
ブチギレニヒヒ


そんなことをいつも繰り返してるのに
懲りないアホな飼い主のあたし。


お詫びしてサヨナラした後、

あたしのハシャギにより
白柴モモちゃんもどうやら興奮しちゃって
帰りしな、飼い主さんを困らせてたタラー


よく、
小さい子供とか赤ちゃんに対し
可愛くて声かけちゃう人がいるけど


その犬猫バージョンなあたし。



次は気をつけようと思いながら
会うとそうなっちゃうのは


勝手な言い分だけど
魅力的で可愛すぎる
ワンコニャンコのせいでもある気がするニヒヒ




また会えるといいな、
白柴のモモちゃん💛



可愛い「白柴モモちゃん」に
会ったよモモ。


犬猫に囲まれた生活ができて
散歩で可愛いワンコを触れたりして
しあわせだよあたしはラブ



見守ってくれて
いつもありがとうね、モモキラキラキラキラ


⭐︎


モモが一昨年前までお世話になった病院
モモが亡くなったことを
ずっと言えずにいたのだけれど

昨年末に
ようやく報告できた。


手術してもらったり
何度か入院したりして
本当にお世話になったから

キチンと菓子折りを持って挨拶しようと
思っていて

でもそれが
自分でハードルをあげるように
設定してしまったことにより

病院から遠のいてしまっていた
一年と七か月。


病院に行って
自分の気持ちがどうなってしまうかが
わからないうちは
行けないと思っていた。


でも、
昨年末。

年を越すまでは
自分の中で引き摺りたくなくて


でも、
行くのにそこそこ
勇気も必要で。


そうしたら、
娘から「電話でいいんじゃないの?」と
言われて。


その菓子折り持参で
お礼に、っていうのは
あくまでこちら側の気持ちとか都合で

別に向こう側はそんなの
望んでるわけではなくて。



ただ、
預けている薬の処分などあり

連絡を入れるのが

お世話になった側の
最低限の気持ちのあらわしだと
そう思っていた。


そんな中
昨年末に

やっと
電話にて報告し
完結した。


モモのことは
とてもとても大切に思っているけれど


年を明ける前の
その行動によって

ひとつ
切り替えられたように思うニコニコ



良かった。
電話でちゃんと報告できたこと
勇気をもってできたな、と思う。


少し進化できたかな爆笑


⭐︎



前回のブログで、
父のことを
母と友達と娘とあたしの4人で
見送った話の余談なのだけれど。


父は、
友達はいなかったけれど
妹と弟と親戚はいて。


あたしも子供の頃は
何かの行事の時には
集まってとても賑やかに
過ごした貴重な記憶があるのだけれど。



それが、
父が施設に入る前の
まだ父と母が同居している時の話


母がある日、夜遊びで家を空けてる時

孤独に一人飲んでいた父が
その親戚の連絡先の電話番号や住所が
書かれている台帳をビリビリに破き
捨ててしまったそう。


元々、母のことが原因で
親戚付き合いをやめていたのだけれど


連絡先をビリビリに破き
捨てるほどに

父は
寂しく心打ちひしがれていたんだろうなと
思う。


それにより、
本当に式に誰も呼ぶことも出来ず
連絡さえつかなくて
式は
ひっそりとしたものになった。



本心からすると、
父も本当は生前連絡を取りたかったのかも
しれないけれど


自分から折れることは
出来なかったんだろうなと思う。


そのうちに、認知症が進み
だんだん何もかもが分からなくなって
きたんだと思う。



自業自得ではあるけれど
何か可哀想な気がした。




一時の感情で
大切なものを失くすこと


感情だけで取り返しがつかないことを
してしまうこと


本心とは裏腹に
寂しい思いに自ずと入り込んでしまうこと



そういう過ちを
父が死によって教えてくれたように思う。 




あたしは、
元々短気でせっかちだけれど

意外とブチ切れて
取り返しのつかないことは
しない方だ。



純粋さもあるけれど
性格の悪さも
兼ね備えているので



どんなにムカついても
計画的に動く節がある。



だけれど、
父のその死をもって
教えてくれたことを


再度、落とし込んで
学んで

自分の人生をさらにより良く
プロデュースしていきたいと思った



輪廻転生があっても
今回の人生のパターンは一度きりだ。



だから、
いろいろ考えて

いろいろ感じて

いろいろ表現して

死ぬ間際まで
自分や大切な存在にとって
より良い選択肢をしていきたい。



もっと器を拡げられるように

もっと愛に満ちることができるように。


そして、
いくつになっても柔軟性をもつように。


楽しく日常を過ごすことが
父を含めた先祖に対して

あたしができる事だ。


日々楽しく過ごして
それが供養となるように。


⭐︎


父は輪廻転生を信じていなかったけれど
成仏の仕方はわかっただろうか。



式が終わったあと
満足感に浸るあたしに


友達が水と線香の用意を忘れないことと

父が成仏するように
たくさん話しかけるよう教えてくれた。


輪廻転生を信じてない人が

死んでなお、路頭に迷ってもねニヒヒ



ある日、
友達の夢に父が出てきて
元気そうに竹竿で釣りしてたと
そう教えてくれたニコニコ


よく、竹竿で近くの川だったり
自宅で釣りしてたな。


LEEって辛さ50倍の
レトルトカレーが昔あって。

そういうのを
汗を大量にかきながら
食べてたな。


「食うことは闘いだ」
「闘って食え」と
教えてくれた父だった滝汗

真剣に食べることに
向き合えということだと思う。



どうやら父は
友達の夢経由で
元気になったぞって
あたしに教えてくれたんだろうなと思う。



ありがとうねラブ



⭐︎


モモにも会えたかなデレデレ


             ぺろっ👅





ではでは、また😊






⭐︎おわり⭐︎