父、Xmasに日付が変わるころに
今年2度目の緊急搬送にショボーン



今回、搬送される流れとなったのは


まず
施設内でコロナ陽性者が出て

父、1度目の抗原検査では陰性だったものの
高熱になり
2度目の抗原検査で陽性に。


その後、父が
施設内で隔離されてる際


誰も診ていないときに
トイレにでも行こうとしたのか

一人で起きようとしたらしく
その際にベッドから転倒してしまったようで


起き上がれずに
倒れていたところを
施設の方が発見し


その後
様子を見ていたそうなのだけれど


夜に容態が悪化して
緊急搬送されたというもの。



夜中で、
そして実家近くの病院ということもあり


母に病院に向かってくれないか、と
お願いしようと思った時は
本当にダメ元だったのだけれど


前回のように
「タクシー代がないから行けない」とでも
言われるかと思いきや


今回は、手元にお金があったらしく
搬送された病院に駆けつけてくれた。



母のこと
ちょっと見直した



その結果、
コロナ治療とベッドから落ちた際の
頭部と臀部の打撲と、コロナ治療のために
入院となった。



ひとまず
「入院できないので連れて帰ってください」
なんて最悪な状態は免れてよかった


コロナ陽性なのに
連れて帰れないわけだしタラー

今の時期、年末で
あちこちの病院で満床とかあるようだし

コロナ陽性でも
比較的軽症ならば
追い返されるんじゃ?とすこし
不安だったから。

ひとまず安心した。



その日の午前に
担当の先生から電話が入り

その説明だと

父の容態はあまり
芳しくないようだった。


アルコール依存性だった過去と
長年の喫煙による肺気腫などで
認知症はかなり進んでいて


基本的な治療もなかなか進まず
予断をゆるさない状況と言われた。




搬送されたことで
施設のXmas会で
出される筈だったケーキを
食べ損ねちゃった父チーン




楽しみにしていたろうに

入院、そして
予断を許さない状況になるとは。




⭐︎


父が
搬送される数日あまり前だけれど


あたしは
ずっと父との想い出を思い出していた。


それにより
また負のループにハマりチーン


あたしがもうちょっと寛容で

モノの言い方も柔らかくて

父のことをもっと考えてあげられていたなら

もっと違う未来になってたのかな?って
結構自分を責めてしまっていたのだった。


ただ、
搬送され入院してから
担当医の先生により

父の体がボロボロの状態
だという説明を聞いてからは


「そうか、それだけ父は自分の体を
自身で虐めてしまっていたんだな」
とも思えた。


まだ施設に入る前には
よく父に
タバコをやめないと肺がダメになるよ、と
何度も言ったし


お酒も浴びるほど呑むようになっていたときにも
このままじゃ体壊すよ、と
そう何度も言ってたんだよなって。


だから
もうそれは父が自分で蒔いた種を
摘み取ってる、ただそれだけなのかもなとも
思えたのだった。


今更どうにも出来ないことを
あたしが勝手に悔やんでも何の解決にも
ならなくて。


冷たい言い方かもしれないけれど

以前のあたしがしつこく何度も
言っても

それでも、本人が
「変わろう」と思えなくて
結果、変わらなかっただけなんだなって。



今回もまた性懲りも無く自分を責める作業をして
しまったけれど
それはもうやめよう、と
そう思った。



ただ、
父が苦しくないようにいてほしい。


ただそれだけだ。



今も、年末年始にどう急変するか
わからないけれど


もしかしたら
このまま病院で最期を迎えるかも
しれないし


もしかすると
本人がまだそれでも生きようと
思うならば
また出られるかもしれない。


ただあたしは、
父が苦しまないでいてほしいと
そう願うだけだ。


⭐︎


今回の母、
残り少ないお金なのに
父の緊急搬送先に一人で出向き


夜の病院の待合室で
ひとりで心細い中
手続きのために頑張ってくれて
本当に助かった。



あたしもその後
更なる書類の手続きがあるために
病院を訪れ


その帰りに母のところに寄った。

お礼として買い物に付き合ったりして
少しの間、過ごした。


父の件。
母も母で
父のことを心配していないわけではない。

ただちょっとあたしと
価値観が違い、温度差もあると
いうことなんだろうと思う。


いつも、母との関係性は
一進一退だけれど

それでもあたしは
母とは何だかんだ言いながらつきあって
いくんだと思う。


今年、言い争いなどせずに
一年の最後を迎えなくて良かった照れ



⭐︎


ではでは、また😊




⭐︎おわり⭐︎