この世界で生きて体感してること自体が、4DX映画の体感型でその世界に没入してるみたいな感じ
固い重い現実感というより、薄い淡い、夢の中のような自分が感じてることがメインで一番大きく感じる、みたいな
(てか夢も現実も、濃さや速さが違うだけでその時の「私」が一人称で感じてる事が全てという事でどっちも同じよな)
現実に反応して対処するんじゃなくて、自分の中の淡い感覚に合わせて現実を見てる
負荷がかからないから軽くて楽
耳で音が聞こえて
座っている皮膚の感触でソファを感じて
目で窓や机を見て
どこからか匂いがして
お腹空いてる感覚や肺の呼吸してる感覚
体感で部屋の中にいるのを感じて
それらの濃い感覚の奥の方にもっと淡い気体のような感覚があって
それらをまとめて感じてるのが私
全部が一元の膜のような、交響曲のような
現実自体がアストラル体験というか
ダイレクトに色んな感覚を感じているような
現実からくる事態に備えてぐっと現実を見てるんじゃなくて、私、が感じてるこの一元の膜が全て
その感じてること自体が現実というものをつくっている
4DXの映画を見て没入すると、それがその時の現実で、視覚は目の前のにあって体感覚たちはここで感じいて連動してその映画という現実をつくってる、その中心でそれらの感覚をまとめて感じてるのは「私」みたいな
この感覚でいるのが楽で心地良いので、誰かのインスピレーションになればと思いかいてみました⛲
かくことで自分の中でもそれがはっきりしたり濃くなったりするので🖊