2,012年12月16日は、学位授与機構の試験の日です。
私は専門学校卒なので、大学院への受験資格がない。
それを可能にするには、通信制の大学などで、こつこつ単位をとり、
論文を書き、試験を受けて合格するしかありません。
一生懸命単位を取り、論文を書き、10月1日に学位授与機構に提出、
感無量でした。
その次の日、「数日中に失明する可能性が高い」と眼科医から言われました。
その時は何を言われたのかピンとこず、口を開けていたように思います。
「開いた口がふさがらない」
ということを、初めて体験しました。
怖くなってきたのは大学病院を受診して精密検査が済んでから。
ハッキリ言って、絶望しました。
死んだ方がマシだと思いました。
だって、見えないんですよ?
私の場合、発作が起きたら全盲になる。
何もできない。
料理も作れない。TVも見られない。
一週間くらい布団に入っていました。
でも一週間経っても目は見える。
ただ頭痛は酷い。
手術日は12月に決まりました。
なんとかその日までもってくれれば。
祈りましたね。
そんなこんなで何とか12月になりました。
実は1月にある大学院の教授と面談予定でした。
2次募集の1月に受験するつもりだったのです。
手術は12月24日。
学位授与機構の試験が16日。
何かとせわしないですが、大学院にばれずにことは運びそうでした。
眼もここまでなんとかもってくれた。
12月16日学位授与機構の試験当日。
雪が積もっていました。
特に滑る感じではなかったのですが。
視界が空中に変わりました。
左肩を下にして、転んでしまいました。
鈍い痛みが走り、嫌な予感はしたのですが、そのまま試験は受けました。
次の日整形受診。左鎖骨骨折。
眼科に連絡すると、万全の体制でなければ手術はできないと言われ…
「そんな…」
あんなに待ち焦がれていたのに。
また頭痛と、いつ失明するかも知れない恐怖と闘うんだと愕然としました。
大学院側に言わないわけにはいかず。
失明の可能性の件を言うと、受験をお断りされてしまいました。
なんの気力も無くなりました。
