徒然マイペースcolumn

徒然マイペースcolumn

筆者はとにかくマイペース且つめんどくさがりなので、更新もそんな感じです。
たまに毒づきます。

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『ダブルスタンダード』がまかり通る世の中。

私のいたマスコミ業界はそれが一番顕著な業界といえる。

「格差社会は問題だ」
「性犯罪は問題だ」
「派遣切りは問題だ」

・・・とまあマスコミが声高にもの申す光景はテレビや雑誌なんかでよく目にする。

しかし、マスコミ業界こそがこの問題を一番省みるべき業界でなのある。


筆者は大学を卒業してテレビ局(報道畑)の従業員として働いてきた。


テレビ局という場所は、まさに社会の縮図であると思う。

大きく示すと、


テレビ局員>子会社のスタッフ>孫請けのスタッフ>フリー、派遣、アルバイト


なんだ、そこまで階級ないじゃんと思ってしまいそうだが、賃金格差が激しすぎるのもこの業界の特徴だ。


キー局の社員で1200万円以上の年収である。

子会社のスタッフはたくさん貰っている人でも年収400万~500万円ほどだと思う。

この時点で局の社員と子会社の社員とではこれだけの賃金格差がある。

私は子会社の社員であったが、40代のベテラン社員で月40万円ほどだったように思う。

その人は
かなり仕事もできて信頼ある人で、毎日昼夜問わず馬車馬のように働いていた。

両者には勤務時間の長さに違いはあれど、業務内容のレベルに大差はない。

私の会社からも局内へ記者やDを出していたが、同じ記者なのにそこでも賃金格差や立場の違いがあったようだ。


カメラマンの部署でも、その格差は顕著だった。

ここではキー局の社員も制作会社の社員も、入社した時点ではカメラアシスタントをする(VEともいう)。

しかし、子会社の社員はカメラを持たせてもらえるまでに5年以上はかかるのだが、局員は半年後にはもうカメラマンである。

聞いた話だが、同じ大学を出た先輩後輩同士だが、先にカメラを担ぐのは局員として入社した後輩で、

先に入社した制作会社所属の先輩はその彼の何年も後にやっとカメラを担がせてもらえる・・・という光景はザラだそうだ。

能力に大差はないのに、この待遇の違いには不条理さを感じる。


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そんな私たちよりももっと薄給と激務を強いられているのは小さな制作会社のスタッフである。

私の友人の知り合いが下請けDをやっており、あまりの疲れに路上で眠ってしまった人を知っている。

私のいた子会社でも、激務のため気絶する人や10円ハゲができるひともたまにいたほどだ。


またADは朝も夜もなく馬車馬の如く働かされ、虫の居所の悪いDから怒鳴られながら小間使いをさせられる。

東奔西走の末、疲れ果てて編集室のイスで束の間の睡眠を取る彼らを不憫に思ったものである。

そんな彼らの賃金はよくて月18万程度である。

ちなみに、このADの仕事にも格差があり、制作会社や派遣会社のADはカメラの部署同様ずーっとADだ。

一方局員がADでいるのはたった半年だ。入社した年の秋にはDの仲間入りを果たす。

私がテレビ局にいた間、社外のADがDに昇格した例はあまり見なかった。

しかしその間毎年、新人局員たちは万年ADの社外スタッフを尻目に、半年でDに昇格していた。

きっと同じADでもかなりの賃金格差があるのだろう。


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格差社会にもの申すなら、まず自分のところから是正しろよということだ。

局員のベラ高賃金は常識からして異常なもので、国民の働く意欲をそぐ金額である。
まずは公務員同様そこから規制すべきではないか。

同じ社内にいて同じ仕事をしているのに、まじめに働くこと自体バカバカしく感じてしまうというのが下請けの本音である。

上のほうのエラい人に言わせれば、「この業界はそういうところだ」と臭いものには蓋をし、片付けてしまう。

パワハラ、セクハラ、二枚舌、なんでもござれの業界。それが今のマスコミです。






元旦にオウム真理教の平田信容疑者が警視庁丸の内署に出頭、逮捕されたことは記憶に新しい。


私は新年を迎えたばかりの自宅で、「はぁ~、今年はいいことあるかなー。大殺界を抜けるのだから、

今年こそ・・・」などと考えながら、ボケっと朝生を見ていた。

そこに飛び込んだニュース速報を見て、年明け早々こんなニュースはアリなのかと思ったものである。


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「東北の大震災で不条理なことを多く見て、自分の立場を改めて考えた。2011年のうちに出頭したかった」


留置先の大崎署で接見した担当弁護士にそう告げた平田容疑者。

約10年前に平田容疑者の母親のもとに本人を名乗る者から連絡があった際、

息子であることを確信した母親は「まこちゃん、どこにいるの?」と問いかけたが、

無言の末電話は切れた。その母親が去年夏に他界したことが出頭を後押ししたという説もある。



「お母さん子」だったというが、
我が子がお尋ね者になってもその身を案じる母親の愛情の深さを感じる。

殺人と親不孝の2つの罪を背負った逃亡生活は、一体どんなものだったのだろう。



逃亡生活、被害者については素直に謝罪の言葉を述べており、麻原被告の死刑執行は当然とし、

帰依心もすでにないという。


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「震災で『おれ、何をやっているんだろう』と自分の逃亡生活が情けなくなった。

でも、なかなか踏ん切りがつかず、出頭は大みそかになってしまった」


特別手配犯というレッテルを貼られ、17年近い逃亡生活を送った平田容疑者も人の子である姿が伺えた。

本人の知り得るすべてを話してほしい。






さまざまなブログ媒体を利用して記事を書いては3日坊主という筆者。


今度こそ続けられたらと思うのだが、根気よく続けている方々、

みなそのモチベーションの秘訣はなんなのだろう。


まあ人のことはよしとして、頑張って更新していこう