中学生の頃、何気なく見ていたNHKのドキュメンタリー番組で忘れられない出会いがあった。インド北部のラダック地方に生きる一人の年老いた農夫との出会いだった。農夫は谷のわずかな土地に麦を植え、山に羊を放牧して暮らしていた。街から離れた村の生活は厳しく、電気も水道もない。冬が来れば村は深い雪に覆われる。冬の寒い日、オオカミから羊を守るために石造りの小屋の中で男たちは交代で寝泊まりをし、家畜を守るのだとも聞いた。番組のディレクターは老人に尋る。「下の街に下りればより快適な文明的な生活がある。それなのになぜこの村にとどまり厳しい生活を続けるのか?」すると老人は答えた。「ここには山があって動物がいて、人間が生きている。それが私の世界であり幸せそのものだ」と。その目はとても生き生きしていて、私は言いようの無い安らぎを覚えた。
やがて私は登山に出会い、ヒマラヤ登山に向かうようになった。インド、パキスタン、ネパール、中国、ヒマラヤの山々を求めて旅をし、あるときは8000mの頂から丸い地球を眺めた。ヒマラヤの大自然に身を置くと、人間の存在の小ささと、私たちの命が大きな自然の流れによって生かされていることを感じた。また、何か特別なことをしたり何かを残さなくても、 人は生きていることだけでただそれがかけがえがなく、素晴らしいことなのだということもヒマラヤの山々が教えてくれた。
私は次第に山そのものより、山の懐の自然に生きている人々に惹かれるようになっていった。伝統を受け継ぎ、一生をかけてその自然の厳しさと恵みに生きている人々。そこには感謝と祈りとがあり、ラダックのあの老人の姿が重なった。
多様な自然に生きる人間の暮らしを求め、私は東西アジアを旅していくつかの民族と生活を共にした。どんな環境でも人間は豊かさを見出して生きられるのだということ、また自然と人間とが分け隔てられたものではなく、人間もまた自然の一部にすぎないのだということを彼らが教えてくれた。そうした様々な土地や人との出会いから、人間の生のさまざまな側面や、生きていることの温かみを伝えたい。その思いでカメラを手に写真を撮り始めた。
写真の力は、間接的にではあっても人と人を結び付けていくこと。結ばれることで誰かが誰かをより近くに感じる。そしてそれが少しずつ世界を変えていく力になると信じている。
故郷の秋田から東京に出て早10年以上が経った。決して人に誇れる生き方ではないが、ひとつひとつ自分で選びながらここまで歩いてきた。後悔もない。そして今も起伏に富んだ、先の見えない道を歩き続けている。それが、私の道。
人間の多様な暮らしを表現し、生きることの温かみを探し続ける、この道。