こんばんは。
ちょっとご無沙汰しております。
今日は午後から頭痛が酷くて無理です。
ネスケも頭痛により、今リビングで寝ています。
その前は、夕飯後にダイニングテーブルの椅子を2脚使い、寝ておりました…。
明日は、私の父の14回目の命日です。
今日は、ちょっと父の事を書かせてください。
父は、すらっとした長身の俗にいうイケメンでした(笑)
父が生前言っていましたが
『俺は、飲む打つ買うの三拍子じゃないぞ?
俺は、飲む打つ買われるの三拍子だ。』
はい…。
そんな父です。
とにかくお酒を飲む人で、
とにかくギャンブル好きで
とにかく女にもてました(笑)
ちなみに、お酒の飲み過ぎで膵臓を壊し、私が幼稚園の時に入院していました。
その時、幼稚園が終わると、父が入院している病院へと幼稚園の送迎バスで行き、父の病院食と私の食べ残しのお弁当を交換してもらっていたのを覚えています。
(その頃から食いしん坊の私です)
私が、生まれる前から
父と母二人で、飲食店を営んでおりました。
店の奥が住居となっており、小さい頃の私の記憶に
真っ暗な部屋に一人、砂嵐のテレビを眺めていたというものがあります。
なんだろ、居酒屋という感じだったのかな?
母に寝かしつけてもらっても夜中に起きてテレビをつけても、なにも放送していない…。
まあ、寂しいですね。
なので、夜は父の実家に預けられたわけですが
夜中に「おうちにかえる~~~~!」と、泣き叫ぶことも多かったらしい。
ある日、父の妹が(私のおばですね)
夜中、私の家へと車で送る事になりましたが、その帰り道車が横転するような大きな事故を起こし
その日から、私は父の実家に預けられることもなくなったようです。
膵臓を壊した後(かなり後)
私が高校生くらいの時かな?
今度は、父が仕事中に倒れて救急車で運ばれたと連絡がありました。
(小学生の頃に、諸事情により店を畳みホテルの板前さんをしていました。)
糖尿病になっていて、高血糖?低血糖?どちらか忘れましたが、倒れたんですよね。
今では考えられませんが、その運び込まれた病院に通院する事になったのですが
父は、診察日にインシュリンの瓶と、注射器を次の診察日までの分を渡されていました。
血糖値も測らずに言われた量を注射していたらしいです。
まあ、ひどくなりましたけど。
私が21歳ころかな?
また救急車で運ばれました。
その病院で、血糖値をちゃんとはかってペン型の注射器でインシュリンを打つようになり、体調も落ち着いてきました。
最初の病院なんですかね。
詳しい話は聞いていないので分かりませんが。
しかし、働くのが難しくなってきたんですよね。
低血糖を起こし運ばれる事が多くなった。
ホテルを退職し、友達の旅館に頼まれて手伝いに行ったりしながら、家で過ごしていました。
それまでは、家にほとんど帰ってきませんでしたね。
なので、父の事は優しい部分しか知らない感じなので、私は大好きでしたね(笑)
父は物静かな人で、いつも本を読んでいました。
私が本を好きになった理由は、我が家には常にいろいろな小説があったからです。
父も母も、本が大好きだったので。
三人が同じ本を買ってきたこともありました(笑)
(藤沢周平の隠し剣シリーズです)
高校生になっても、父と映画を観に行ったり、ご飯を食べに行ったりしていました。
小説好きの、映画好きです。
でも、酒好きのギャンブル好きの女癖悪めの父です(笑)
だけど、父の事を悪く言う人はいませんでした。
お葬式の時にも、想いで話をしながら笑い声も聞こえてくる。
「まったく、あいつはしょうがないよな~」なんて、父の友達が泣いているのか、笑っているのか分からない感じで他の人と話していたのを覚えています。
(父のお葬式の事をあまり覚えていませんが、この辺は覚えている)
母は、父に苦労を散々かけられたとよく言っていましたが
「お父さんみたいにカッコいい人は、なかなかいない」とも言います。
父が亡くなった日
母は県外に出張でいませんでした。
ただ朝、父が送っていったようです。
そして、家を出て一緒に暮らしていなかった私に
「お父さん1人だから、電話したりして様子を見てね」と頼まれてはいました。
昼前かな、電話をしても出ないんです。
その時に、父の幼馴染のおじさんが癌で入院していて、毎日のようにおじさんが食べられそうなものを作って病院に行っていた父なので
「おじさんの所に行っているのかな」と、うっすら思っていましたが…。
ずっと連絡が取れません。
不思議なものですが、本当に嫌な胸騒ぎがしていたんです。
すぐに、用事をすませて
実家へと行きました。
(たぶん、かなりのスピード違反)
父の車は止まっていました。
玄関のドアを開ける。
次のドアを開ける。
…。
父が倒れていました。
ここから先は書けそうにはありません。
母を送って家に戻って、ご飯を食べようと立ち上がった時に、倒れたようでした。
県外から母はタクシーで帰ってきました。
恐ろしい金額だったけれど、早く父に会いたい思いで戻ってきた母。
病院に着き、処置室のベッドにいる父に駆け寄り
父にしがみつくように、泣き叫んでいたのは一生忘れられない光景です。
喧嘩ばかりしていた父と母
けれど、父以上の人はいないと言う母
若い頃に駆け落ち同然で結婚した両親
父の板前の修業についていき、そこで仲居さんとして一緒に働いていた母。
父は若い頃からイケメンで
母は今は見る影もないけれど、一応地域の美人コンテストの準ミスで、美男美女と言われていた二人。
父は、とてもかっこよかったけれど
とても、酒好きで、ギャンブル好きで、女癖の悪い人でしたが、私にとっては優しい父で、物わかりの良い人で、雑学王で、父の作る料理はとても美味しくてきれいで食べるのが勿体ないくらいで
いいかげんな人だったのかもしれないけれど、憎めない人で
粋な人でした。
思い出話をするのも供養だよ。
と、いつか先輩に言われた事を思い出したので
ちょっと書いてみました。
長々と書きましたが
ここまで読んでいただきありがとうございます。
父の命日は、明日ですが
今日、思いだして書きながら涙があふれてきました。
ネスケは、まだ寝ています。
おやすみなさい。
あ、ちなみに
父が亡くなった夜に、父の幼馴染のおじさんも亡くなりました。
おじさんのお母さんは
「苦しんでいる〇〇(おじさんの名前)を、●●(父の名前)が連れて行ってくれたのかもな、●●は優しいからな、最後まで優しかったな」と言っていたのも忘れられません。
ネスケ子が参考にしている本です。