人は考える葦であるとか | ゆる勉

人は考える葦であるとか

 悩むということと、落ち込むということは少し違って、
 悩むということは、問題が“現実に存在"していて、

 「どうしたら解決出来るかな?」

 という“答えを出している途中"なので、どんな答えにせよ、出さないと終わらないもの。
 ここに必要なのは問題解決の技法であって、気分転換とかはまあ手段の一つの一つのようなものではないかなあと。
 


 落ち込むということには、問題がもし存在するとすれば心の中か、脳の中であって、考え方の転換やクスリでどうにかなってしまう事。
 きれいはきたない、きたないはきれい。
 ここに必要なのは適切な対処であって、処理であって、処方。



 私が幸せかどうかは私にとって(たぶん)重要であるが、誰かにとって重要であるとは限らず、世界中の人にとっては大抵どうでもよく、虫はそんな事考えないし、どのみち100年もしないうちに灰になるし、地球も太陽も数十億年もすればただの岩、宇宙にも寿命が在るとか無いとか、よー知らんけど。


 メタメタして遊ぶのは思考停止も同然だし、ひっくり返して最後に残るのが希望とは限らないし(大抵のテツガクは絶望から生まれて、絶望が残る)、不毛といえば不毛なんだろうけど「悩むのは時間の無駄か否か?」という問題に対し「まあ我々の存在が無駄ですから」と微笑む(菩薩のようでもあり、少年のようでもある)ようなおっちゃん達が好きなだけなので、私にとってはたぶん音楽を聴くようなものなんだろうなあ。
 
 


 さて、フラットになるためのおまじないでした。
 ポジティブにはネガティブなイメージがついてるから、難しいのよねー。
 


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