英語嫌いからの脱却 | ゆる勉

英語嫌いからの脱却

※一部の人が見たら怒ったりツッコミたくなりそうな事が書いてあるかもしれませんが、自分用のメモみたいなものなので適当に流してください。



◆私が英語好きになったのは

 This is a pen.
 ――これはペンです
 
 とても有名な、ヘンな英語。日本語でだって「これはペンです」とわざわざ言う状況なんて、手品ぐらいじゃないだろうか(これはトランプです、これはお札です、これはハトです……)。

 “そんな事を言う状況はきっと来ない”
 ということはみんなわかっているのだけど、これは猫です、とか、私は男の子です、みたいな言葉を必死になって勉強する。基本だからねーって。
 例にもれず、私も、こういうのがとても嫌いだった。


 でもこの英文には
 
 状況の説明――
 ペンというものが実際に現物として存在しており、見える・かつ取れるほど近い距離にある
 (発言者は)ペンというものを指差しているか、持っている
 過去でも未来でもなく、少なくとも発言した時点において現在の話である
 
 
 ペンの説明――
 そこにあるのが“ペンというもの”である。ペンという概念は既に存在しており、“これ”が“ペンというもの”だと言っている。“そのペンというもの”が“ペン”という名前なのかどうかはまだわからない(持主はそのペンにジェーンという名前を付けているかもしれない)。
 ペンというものには形がある
 ペンというものは数えられる
 そのペンというものはひとつである

 ということが含まれている。
 英語はどうも、

 いつなのか・過去なのか・未来なのか
 今中心にしている言葉は何か
 それは数えられるものか、数えられないものか
 一つしかないものか
 私なのか、あなたなのか、それ以外なのか
 今しているのか、していたのか、しようとしているのか、しようとしていたのか
 まさにその時なのか、後なのか、前なのか
 繋がっているのか、いないのか
 ヒトなのか、モノなのか
 肯定的なのか、否定的なのか

 ということにやたら厳密だ。アメリカ人はアバウトというイメージが何故かあるが、言語はやたら厳密であり(きっとイギリスのせいだろう……これもまた勝手なイメージだが)、日本語はアバウトな言葉なのに、日本人は神経質だと言われる。妙な話だ。

 もちろん、普通の人が普通に話している言葉はそこまで厳密じゃないんだろうと思う。日本語だって、流暢に丁寧な言葉で話す人もいれば、ブツブツと単語しか言わないような会話をする人もいるのだし。
 
 でも受験英語は、“英語の論文を読んだり書いたりするためのもの”なので、ますます厳密さが必要なのだろう。少なくとも大学生にとっては書くことより読むことの方が大事なので(英語で書くことが大事になってくるのは、院以降じゃないだろうか)、読めるだけでいい的な問題が多いのもうなずける。

 それは現代文というものも同じで、“日本語で論文を読んだり書いたりする”ために、二項対立だのパラグラフだのトピックセンテンスだのを学んで、中途半端に下手に書かれた文章(わかりやすすぎる上手い文章はわかりやすく読めてしまうので、問題を作る時に困る)をあーだこーだ読んだり、小論文を書いたりしないといけない。
 こっちは、大学一年生でもカタイ文献を読んだり(専門書はそういう決まりでもあるのか、文章が古い和訳のようにどんどん難解になっていく)レポートやらで日本語で書くことをいきなり要求されるので、入る前に勉強しておいてねーということだろう。
 さすがにギャル文字や絵文字が満載だったり、構造もへったくれもないポエムのようなレポートを出されるとセンセイ方も困るのだと推測する。
 

 閑話休題。
 さて大学に行こう、受験しよう、と考えた時から、英語の問題はドーンとのしかかっていた。英語は入試で避けて通れないし、万が一社会人入試などで面接+小論文なんかで入れたとしても、英語が出来ないままではその先に進めない(その先に進みたいからこそ、時間もお金もかかる進学を考えたのであるし)。

 英語は正直、当初本当に苦手意識が強かった。今思えばそれほど不得意でもなかったのだけど、単語力は確実に底辺だったし、文法知識も穴だらけだった。熟語なんて、中学のものすら怪しかった。
 勉強していない(いなかった)のだから出来なくて当たり前だというのに、出来ないことがいきなり憂鬱で恥ずかしかった。

 でも、避けて通れないことなのだ。どうにかしなければいけない。解決方法を探さなくては。それも、すぐに。
 もちろんすぐに英語がペラペラになるなんてことはありえないので、まずは苦手意識を取っ払う事を考えた。

 出来るようになれば好きになるんじゃないか?
 好きになれば出来るようになるんじゃないか?

 という幻想(あるいは妄想)を抱いたわけだが、どっちも無理~苦手~ヤダ~では前に進めない。

 さしあたって必要なのは

 ・基礎
 ・やる気

 だと考えたので、基本を勉強するためにはどうしたらやる気が出るか?というところから始めた。

 ○○大学合格!
 偏差値○○!
 なんて書いて貼ったところで、苦手意識は消えない。
 
 やはり“英語(しかも受験英語)”に、好奇心を抱くことが必要だろう。
 好奇心の基本はやはり

 なぜ?
 どうして?

 という気持ち(知りたい!)と、それに対しての答え(わかった!)にある。
 


 英語に関する“Why?”は――

 どうして点数が取れないんだろう?(→並べ替え問題になると壊滅的だからだ)
 どうして並べ替え問題が苦手なんだろう?(→文法がよくわかっていないからだ)
 どうして文法がよく覚えられないんだろう?
 ……頭が悪いから?
 
 
 いやいや、ここでネガティブになってはいけない。


 どうして英語がよくわからないんだろう?

 →そもそも英語がどういうものかを知らないんじゃ? 





 そう。

 「英語とはどういう言語なのか?」

 というところから入ってもいいのではないか、と私は考えた。
 

 言語によっては、すべての名詞について女性なのか男性なのかを何でも厳密にしようとしているものもあるし(こういう国では、Xジェンダーの人はどうしているのだろう?)、どういうルールがあり、考え方があるからこそこういう言語なんだ、ということを知れば、例えば英語なら(日本語にはない)前置詞なんかについてもっと初めからわかりやすく理解できたような気がする。

 それを「文法」と呼ぶから、わかりにくくなったんじゃないか?と。


 決まりは決まり。なんで?って、そういう決まりなんだって!という考え方では、少なくとも私には英語は身に付かない。「何でだかよくわからないんだけど、こうじゃないとヘンな感じなんだよねー」みたいな事も、“こうだと、こういう感じがする”という説明がつけば、なんだか曖昧な「ルール」よりはわかりやすい。
 
 
 私は単語帳や文法問題集を中止し、受験英語から一度離れて“言語としての英語の本”を読みあさった。ルール、背景、成り立ち……英語はどこから来て、どういうルールがあるか。何故それが必要だったか。
 
 単語の語源。

 どこに意識を置くか。
 何を中心に据えるとそういう文章になるか。
 消えるのはなぜか。付くのはなぜか……。

 


 

 これらを調べるのは、私にはとても楽しかった(細かく引用するには膨大すぎるので省略する)。今も時間があればそういう本を探して読みたくなるが、参考書や単語、問題集をやっていてもそれと同じような発見をする事が出来るようになり、英語が“楽しく”感じるようになった。
 やったことなのになんで解けないんだよーとイライラすることはあっても、苦手・嫌・わからない……という感情からは遠くなる。 

 “なんで?どうして?”と背景を調べている時間で、同じ時間暗記や問題集をストイックにやっていたら一時的には偏差値は上がったかもしれないけど、英語は嫌いで苦手意識を抱えたままだっただろう。

 
 万人に通用する方法だとは思っていない。
 今受験生だ、という人には役に立たないかもしれない。
 英語が嫌いなままでも“出来る”ようになる人はたくさんいると思うし、英語が好き=英語が出来る、でもない。 
 ただの私個人の記録である。効率でいえば、お金の面でも時間の面でも良くはない(図書館や古本屋を活用したが、それでも足りないものは購入した)。
 が、誰かのヒントになるかもしれない。それは将来の私かもしれないし、あなたかもしれない。