ちょび髭は果たして現代において暴圧の喩として機能し得るのか | 紙業新報のブログ

紙業新報のブログ

紙パルプ業界紙。月3回発行。の公式タワゴト、ボヤきその他(笑

紅白での桑田佳祐のちょび髭パフォを「エライ!よくヤタッ」と褒めてる人々に軽い嫌悪感を抱きながらも、

この記事☆
サザン桑田の謝罪にファン「ガッカリした」 作家からも「この程度の批判精神」と散々けなされる

サザンはあの場で放送中は大したことやってないというのが私の意見です。勲章の扱い方はヤバイなと思いました。右派のこりゃ抗議が飛んでくなと思いました。

でも謝罪文だした彼らにガッカリするファンたちとか、上のリンクに出て来る有識者の人も、それ以前にまぁ、桑田のちょび髭を褒めてた連中とかも引っくるめて、みんな浅はかだな~て思いました。

もともとちょび髭の件もピースとハイライトというあの歌も、あんまりイイねと思ってなくて、私、というのもヒトラーが果たして現代において暴圧の喩として機能し得るのかってずっと思っててですね。しかも年明けていきなりシャルリー・エブドの事件が起きました。

日本は歴史は長いけど、なにかが狭いし、自由とか言論とか、そういうヨーロッパっぽい物事についてはあんまり実績ナイっすよね、たぶん。

サザンが特定の政権、例えば安倍政権とか笑、を茶化してるとは私、思えてなかったんですね笑笑。でも下の記事見てそうでもなかったんだー、サザンてそういうことやってきてたのかと思いました。

芸能 桑田佳祐「不敬パフォーマンス」謝罪で波紋…過激さウリだったサザンが追い込まれた理由

暴力のコモディティ化なんて話も飛び交う今この時、世界では暴圧が常駐してますね、ハイ。これの管理方法含めてどう向かい合って行くかが課題ですけど、少なくとも安倍政権がファシズムに行く度胸というか笑、可能性はゼロですね。少なくともヒトラー的な戦争なんか、ヤレるわけないッス。

ただ、その意味じゃ桑田が唄うように、私どもは「20世紀でもう懲りてる」んだと思います。

ファンや識者たちがガッカリして、サザンから離れて行くひともいるようなので、かえって応援したくなりました。今までサザンに興味とかぜんぜんなく、世代的には周りはみんな結構サザンで騒いでたけど、いい曲だとか感じたことなくって。

ホウガンビイキでサザンを応援( ̄▽ ̄)