JASRAC
JASRACに著作権を預ける契約を結んだ作家の第1号は、詩人としても有名な島崎藤村さんです。
JASRACが設立された当時、日本では「著作権」という言葉はほとんど知られていませんでしたが、現在では、JASRACは約12000の作詞家、作曲家、音楽出版社などから、著作権を預かり、放送やCDはもちろん、カラオケからネット配信までさまざまな音楽利用に対応したルールを作り、「音楽を使う人」の窓口になっています。
また、平成10(1998)年からはコンサートや講演、シンポジウムなどの文化事業を積極的に実施して、音楽文化の普及・発展に努めています。
普通に録音利用申込に行って、待ち時間の間に見つけた事実!(え?あたしが知らなかっただけぇ~っと思ったのも事実やけれども)「データ用のCD-Rと音楽用のCD-Rは、中身は同じものだが、音楽用のCD-Rは著作権料が付加されているため、少し高い!!」と書いてあったぁ!お酒や煙草の税金と一緒か?まあ確かに音楽用であるからにして音楽を書き込むんやから(音楽やってない人は市販の音楽を書き込むと言う考えから来ているらしい)っと言うことは我々、音楽制作を仕事にしている人も趣味で作曲している人も音楽用のCD-Rに書き込んだだけで著作権料を支払ってるみたいやなぁ~?コピーに使うわけやないのに、記録デモ用やのに??世の中納得いかない事が多いけど「貴方の納得いかない事よかったら教えて下さい!!」
あっ!よかたら
「ジャスラックって何?」のとても解り易いページ見て下さい!
http://www.jasrac.or.jp/park/work/
僕らは歴史の上に立っている
★1536年(476歳)豊臣秀吉(戦国武将)
とよとみ ひでよし(1536~98年)戦国・安土桃山時代の武将。
幼名・日吉丸、籐吉郎。天下統一をなす。
【その1】
秀吉がまだ木下藤吉郎という、信長の草履取りの時代のことであった。
ある雪の夜、信長が女部屋からの帰りに下駄を履くと、温かくなっていた。「おまえは腰掛けていたな、不届者め」と怒って秀吉を杖で打ったが、秀吉は頑として「腰掛けてはおりません」と言い張る。信長が「温かくなっていたのが何よりの証拠だ」と言うと、秀吉は「寒夜なので、御足が冷えていらっしゃるだろうと思い、背中に入れて温めておりました」と答えた。
「ではその証拠は何だ」と尋ねられると、秀吉は衣服を脱いだところ、背中に下駄の鼻緒の跡がくっきりとついていたという。信長は感心し、すぐさま彼を草履取りの頭とした。
他の小説や読み物などでは、秀吉は「懐に信長の草履を入れて温めた」とされているものが多く(というか、ほとんどそうである)、私もそう思っていたが、「名将言行録」では「背に入れて温めた」となっているところが興味深い。
【その2】
信長は「この大沢なる者は武勇に秀でた者であるが、心変わりしやすい者で味方として信じるのはどうか。今夜腹を切らせよ」と言った。秀吉は「降参してくる者に腹を切らせては、今後降参してくる者はいなくなります。ここは一つお許しになった方が・・・」と申し上げたが聞き入れられなかった。
さて、秀吉は大沢の前へ行き、
「これこれの事情で何とも申し訳ないが、ここにいてはあなたの身に危険が起きます。どうか逃げて下さい。ご不審なら私を一緒に連れていって下さい」と刀や脇差しを投げ出して無腰になった上で語った。大沢は彼の誠意に打たれ、今までの礼を厚く述べ、無事に脱出した。
この一件を後に伝え聞き、秀吉の配下になりたいと思う者が多くなったという。
【その3】
秀吉は信長の忠実な部下として知られているが、その彼が後に信長を評した面白い言葉がある。
「信長公は勇将なり、良将にあらず。(中略)一度敵せる者は、その憤怒つひに解けずして、悉くその根を断ち、その葉を枯さんとせらる。故に降を誅し、服を戮せられ、寇讐絶することなし。これ量狭く器小なるが故なり。人のために憚らるれども、衆のために愛せられず」
つまり、「信長公は勇将ではあるが、良将ではない。(中略)信長公に一度背いた者は、その者への怒りがいつまでも収まらず、その一族縁者はみな処刑しようとされた。だから降伏する者も殺し、敵討ちは絶えることがなかった。これは器量が狭く人間が小さいからである。人からは恐れられはしても、大衆から愛されはしない」ということである。


