もう一度、やりたい。あの場所に立ちたい。もう一度、見たい。みたいな気持ちって涙が出るくらい切なくて、美しくて、すべてを捨ててしまいたくなるね。
「どっちも最上級のかたちで両立」だなんてできやしない。全力を注ぎ込んでこその感情をもう一度感じたい。沢山時間があって、歳もとらないのならやってみたいことなんて沢山あって。
でも時間は有限だから。
老いるから。
やってみたいことに飛び込めず、或いは一つに絞り、諦めて、先を見て、先を諦めて…
そんな選択が人生を感じさせて愛おしいようで、惜しいような…
そこにいた時にはそこに立つが故の不安に押しつぶされそうになって自分を作り上げる全てを壊したくなって、孤独で、でもそこから降りたらそのステージの高揚感にのみ囚われて渇望する。
それがわかっているからなかなか降りられくて。
やっとの思いで降りても一度手に入れたものは手放しても一生心が体が覚えていて。触れられなくても放せないの。放したくても。
自分の中での物事に対する愛情順位が変わっても、片隅には在り続けてふとした瞬間また輝き出す。
だけどその時にはもうやりたくてもやれなかったりして。
それって残酷なことかもしれない。
時間が少ないことよりも老いることの方がずっとずっと残酷だね、きっと。
多くの人の言う「全てやりきった」って言うのは年齢を考えて言うのかもしれない。
みんなの夢を奪うのは、「時間」じゃない。「老い」だ。
でもそれがなくちゃいつまでも下の世代に時代が回らないから仕方がないね。なくちゃいけない。
限られた時間の中で才能を開花させて、且つ多くの人の目に触れて評価されなくちゃ、残らない。
だけど、才能が沢山の目に触れられないうちに諦められる夢って悲しいな。
みんながみんな人生をずっとやりたいことだけやれたのなら誰がどんなものを残すだろう。
どんなものに出逢えたろう。
私はどんな風になるだろう。
どんなことを考えられるようになって一生を終えるだろう。
自分の究極に行き着いてみたいけれど、それって勇気がいる。
何かを極めるには本当にいろんなことを犠牲にしなくちゃいけないもんね。
何が本当にほしいかなんてその時々で違う中途半端な私が目指すにはリスキーすぎて足踏みしてる。
その足踏みも、いつまでしていられるかって言ったらもうそんなに時間も無いわけで。
親のこととかを入れちゃうともう自分の人生を考えられなくなるし。
結局将来は普通の平凡な幸せな1人になりたいなぁなんて自分を誤魔化す。
その誤魔化しがいずれ本心に変わる事知っている。
変わる事を望んでいるようで悲しいような。
長い。
やめた。
ちなみに悩んでて誰かからの答えがほしいんじゃ無いの。
どうにもならないことわかってて、この感情を残したいの。
消えちゃうから。
こういう感情を人間的で美しいなぁと思うから。
誰かの何かのヒントになるかもしれないから。
文字に起こして、残したい。
それにしても年明け早々何考えているんだろうねぇ(´・ω・`)
ねむい。
おやすみ。