昨日は、父の祥月命日でした。
35年もの月日が流れているのに、
なんとか家族は生きている。
見守ってくれてありがとう、と手を合わせた。


父が亡くなってしばらくは、
道で背格好が似た人の後ろ姿を見かけると、
思わず目で追ったりした。

今は、寝入っている夫が(他人なのに)
最近 妙に晩年の父に似てきていて、
夜中にハッとすることがある。
(認知症の母が見たら、絶対まちがえる)

眠っている夫のことを……あの日の父の遺体だと思うと
いろいろなことが「……ご遺体だからしょうがない」と
許せてしまうのが、可笑しい。


ある女友だちが、
「悲しみは、小箱に入っている。
そして時々 ココロから取り出され、
ふと気づけば 悲しみは消えないけれど
小箱は温かな記憶で満たされている」
と語ってくれたことがあった。


小箱ってどんな小箱かな。
その中に長い間、収められている悲しみって
年月とともに少しずつ角がとれて
球に近づいていくんだろうな、とか
あれこれ想像する。

小箱

(初めて娘に買い与えた木の玩具)


友人がお母さんを亡くされた悲しみについて
25年なんだね……と想う五月。

マーガレット

耳元の痛みは、おかげさまで消えました。
ただ、細菌と細胞たちの戦場の跡?……体がとてもだるい。(@_@)

今日は、あまり出歩くと
新しい病気に感染しそうな体調だったので
静かに ココロの小箱をみつめて過ごしました。


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