翌日午後に何とか立ち上がる事ができ、初めてNICUへ
面会にいきました。
出産した日に助産師さんは保育器に入っている息子の
写真を撮ってきてくれてみていたのですが、実際に対面すると点滴が入っていて、胃までの管も口に入っていて、その姿に最初はショックを受けてしまい、泣いてしまいました。
早く産んでしまった、という申し訳なさ。
でも、そうしてなかったら最悪、命を守れなかったかもしれない。
娘の時は出生体重はわずかに2500gを下回っていたものの、37週の出産でNICUに入ることもありませんでした。
翌日から母子同室で、本格的に育児をスタートさせていたのにそれができない戸惑い。
突然妊娠を終えて、赤ちゃんがそばに居ない環境が後期流産をフラッシュバックさせて出産翌日はひどく落ち込みました。
そんな時、助産師さんが気遣ってくれて、その翌日からは搾乳をスタート。搾乳をしてNICUに届け、授乳を見守る、という入院生活が始まりました。
コロナの影響で退院すると、面会は1日1時間に限られてしまうので、頭を撫でたり、手足を触ることしかできないけど、息子との時間はとても愛おしく、退院を1日延ばして息子とできる限り一緒に過ごしました。
私が先に退院。
息子はまだ保育器から出ていなかったので、保育器を出ないと面会もできません。これもコロナ対応。
涙を必死で堪えて独りで退院しました。
退院すると、突然の入院、出産だったこともあり、まだ息子を自宅に迎える準備も全然できていなかったり、名前をまだ決めきれていなかったり、お姉ちゃんは私の入院中とっても良い子だったけど、やっぱりアフターケアは必要で、バタバタしていたらあっと言う間に保育器から出て毎日の面会が始まり、順調に体重も増えて私の退院から10日後、息子も退院する事ができました。
今回、抜糸した開腹シロッカーの糸は記念?お守り?に持ち帰りました。
私の血がべっとり付いていて、大分グロテスクですが。。
糸は私の予想よりもずっと細くて、幅1cmもないもの。
でも、これが本当に私と赤ちゃんにとっての命綱になっていたと思うと、崇めたい気分です
しばらくは家宝として、保存しようと思います。
かれこれ、5年前から書き始めたこのブログ。
Yui-ChanとJo-kunをお空に還して、人生の底から始めた記録。
今の自分をあの時想像することは全くできませんでした。
一方で、現在を作ってくれたのは2人のお陰。
日々の生活に追われてそのことを見失いそうになった時、私はまたこのブログを読み返して2人を想い、感謝したいと思います。
このブログのゴールは無事に出産できるまで。
もう一度私がこのブログを書くことはないと思います。
ただ、今回も様々な方からメッセージをいただきました。殆どが天使ママになられ、今後の妊娠出産に向き合う上での心情や具体的な策を聞いていただいたものです。
ブログを更新する訳ではないので、タイムリーではないかと思いますが、それでもメッセージをいただいた方には真摯にお応えしたいと思っています。
読んでいただきありがとうございました。
このブログが少しでも子宮頸管無力症で苦しんでいる方の支えになりますように。
