『そらおよ永遠に』
今、飼育放棄する人が増えているらしいですね。
その理由が信じられず悲しい。。。
これから動物を迎え入れようと思われている方は、この後の話を参考にして頂ければ、と思います。
そらおは2007年の秋にミュウちゃんと2コイチでうちに来ました。兄妹?姉弟?です。
初代の猫様が亡くなって半年後のことです。
ネットの里親募集で見つけた子達でちっちゃくてめちゃくちゃ可愛くて。。。
ミュウちゃんは最初の頃、お布団やフワフワしたタオルやら洗濯物の上でおしっこしちゃう事がよくありました。
気持ち良すぎて気が緩むのかなーなんて勝手に思ってましたけど、トイレでちゃんと出来るようになるまでちょっと時間がかかりました。
そらおは大丈夫、1回で覚えました。
飼育放棄する人はこの時点でダメなのかな?
うちの家族も最初はブリブリ怒ってましたけど、私にしたらそれ込みで可愛いし、そんなネコもいるんや、新しい発見!です。
普通ネコは教えなくてもトイレ出来ますからね。
その後、2つとも元気にすくすく育ってくれました。
障子破ったり、セミやらトカゲ(ヤモリ)やらくわえてきたこともあって(マンションなんですけどね〜)ギャーギャー言ってましたがそれも楽しい!
そらおが病気と分かったのは2018年12月末でした。
食べなくなって、おしっこの量も大量になってたのでおかしいなーと思ったのがきっかけです。
確か3日間病院に行って点滴をしました。
その後は1ヶ月すると調子が悪くなるので、また病院。
2019年1月、2月、3月、と毎月1回は、数日間は病院で点滴。
その3月から家で点滴をする事に。
最初の頃は1日置きの点滴も、そのうち毎日になって、1回に点滴する量も増えていきました。
そらおはホントに食が細かったので、シリンジご飯もあげてました。
カリウムの数値が低かったのでカリウム剤をシリンジご飯に混ぜていました。
朝晩のシリンジご飯と、毎晩の点滴。
1〜2ヶ月に1回の病院通い。
そらおは、ますます食は細くなり、徐々に痩せていきました。
そんな感じが続いて、1年経って2020年、コロナでおうち時間が増えて、これは今思えばホントに良かった。
一緒にいる時間が長くて、そばにいる事ができました。
2020年の夏、貧血の数値が悪くて、造血剤の注射をしました。
これで血をつくれたらいいんですが、、、という先生。つくれなかったらどうなるんやろう、、、怖くて聞けず。でもそういう事なんやろな。
1週間後また注射をして、その1週間後に血液検査。
この時は貧血の数値は改善したけれど、私は、こんな毎週病院へ行って、血が足りない、っていうのに血液検査ばっかでいいのだろうかと、余計プーちゃん(そらおの第2のあだ名)しんどいんちゃうやろかと思ってしまいました。
そのあと、そらおはホントに食べなくなって、シリンジご飯は調子のいい時は吐かずに食べてましたが、耳もベロも手足(肉球)も真っ白な感じでした。
でも時々ミュウちゃんと追いかけっこしてるし。。。
10月最初頃に病院に行った時にはやっぱり貧血の数値が悪く、その時に1ヶ月開けずに病院に来てください、と言われ、2週間後くらいに行きました。
血が足りないのに血液検査でしょっちゅう血を取られて大丈夫なんやろか、、と悩みつつ。
結果は貧血の数値はさらに下がっていて、もう一度造血剤を打ちました。
そらおが亡くなったあと、日記を見返していたら10月半ばくらいに、「そろそろ近づいてきたかもしれない、」と書いてあったので予感があったのかもしれません。
すこぶる調子が悪い、動かず食べず、、、と最後に病院へ行った日の日記(その時のそらおの写真↓)
最後に病院へ行ったのが11月初め頃。
血液検査の結果、貧血の数値はさらに下がっていて造血剤の効果は全くない事がわかりました。
赤血球=228(正常500〜1000)
ヘモグロビン=3.6(正常8.0〜15.0)
ヘマトクリット値=10.3(正常32〜45)
その次の日からが、最期の2週間の始まりでした。
そらおは頑張って苦しんで、もう頑張らなくてもいいんやで、って言っても頑張ってました。
病院へは行かないと決めていました。というより、行ける状態ではなかった。。。
何も食べれず、お水だけ飲んでました。
最後に口にしたのはカツオ節と大好きなマタタビ粉でした。
最初の1週間は点滴をしていました。
トイレもフラフラでも動ける間はちゃんとトイレまで行って、そのあと気持ち悪くなって吐いて(といっても何も出ない、食べてないので)倒れて、意識もうろうとなってました。
今まで点滴を嫌がった事はなかったのに、ある日点滴の用意をしていたら、動くのもままならないのに逃げようとしたので、その日から点滴をやめました。
ホットカーペットを付けていましたが、それも嫌がるようになり、ホットカーペットと窓の間のところに這いずっていくようになったのでホットカーペットも切りました。
家にいる間はずっと隣にいました。
虹の橋でまた会おう、という約束も何回もしました。
夜は最初の1週間は私のベッドに登って顔の隣で寝ていました。
そらおがベッドに登れなくなってからは、私がそらおの隣で寝ていました。
何も食べてないのにすごいねーって言って2週間位経ったある日、仕事先からあと1時間で帰れそうやけど大丈夫そう?と家に連絡した時が、最期の時でした。
それまでは仕事中はお互い連絡しないという家との約束でしたが(連絡あったところですぐには帰れないので)、その日に限って私が連絡してしまったのです。
夜道を泣きながら帰りました(夜でマスクをしていて良かった)。
最期めっちゃ苦しそうで可哀想だったから、アンタにはその姿をみせたくなかったんやろう、と家の人に言われました。
家に帰って見たそらおは普通に寝てるみたいでした。
まだ温かくて柔らかくて、1度抱っこしてからまたそっと寝かせました。
いなくなった寂しさは、この日が来るとわかっていたつもりでも、相当つらく、想像をはるかに超えて心が痛かったです。
「そらおが嫌がる事はもうしない」という選択は間違っていたのか、、
多分答えは出ない、と思いたい。
それから49日が過ぎるまでは泣き過ぎて、鼻水が出過ぎで鼻がおかしくなったほどです。
あれから5ヶ月。。。。
そらおがいなくなった後すぐ、不思議現象はいっぱい家の中でありました。
ご飯食べてる音や、足音(廊下がきしむ)、どっかから飛び降りる音、気配、、、
結構長くあったので、逆に早く虹の橋渡らないと49日経っちゃうよーって最後には心配になったくらいです。
今は家の中も落ち着いて、ミュウちゃんが1人淋しそうにしてるし、泣き虫の超甘えたさんになったので、相棒を迎え入れようかなーーと思ってるところです。
一緒に住んだら(人と一緒)
えーうっそーん!と思うことがあっても、めんどくさい、と思うこともあっても、病気になって病院にも行く事になっても、、、
一緒にいますよね。
治療もして看病もして、お金がかかっても、引越し決まっても、、、
一緒にいますよね。
亡くなって、死にそうに悲しくてつらくても、、、ずっと一緒にいれば、それを超える本当にたくさんの幸せと楽しい時間、思い出をくれるんです。それと「教え」、自分を成長させてくれるもの。
ご縁をどうか大切にしてほしいと思います。お願いします。