今日は1日オフ
完全オフ
家から出ないぞ宣言のとおり
それどころか、ほとんど寝ていた
すっかり、ばぁばの骨折騒ぎのおかげで動くようになった私
それまでは、一日中家から出ない日もああったのに
仕事のある日は、それ以外のために労力を使えなかった
娘がいるときは、家事をしつつ働きながら娘の送迎したりでフル稼働だったのにね
骨折騒ぎがキッカケで1日のリズムが変わった
それも自然の流れよね
昨日は、朝から窓拭き
年末でなく、寒くなる前にするのが当たり前になってきた
午後から、元上司の家に旦那と弔問
すでに四十九日は終わっている
元上司のお母様、90代でご逝去
母の入院日に日赤で元上司に会ったからわかったこと
これも何かのタイミングよね
持病をかかえる上司が一人で介護してきた
周りから見ていると、介護で共倒れするのではないかと心配だった
お母様は度々の入院をしつつも自宅療養を希望
最後は病院で
上司は緩和ケアを選択したので延命治療をしないと署名したらしい
でも、
「また退院して帰って来れると思っていた」
「こんな急に亡くなるなら、いつくらいって言ってもらえたら覚悟できた」
と文句ばかり言っていた
話を聞いていると、病院の対応は悪いとも思わない
息を引き取る前日から泊まり込みもできたし
最後は看取ることもできたし
しんどいけど、私も娘に緩和ケアを選択した時の話をした
娘の弔問に来ていただいた時に、その話はしているけどね
お互いに記憶は曖昧になっている
旦那とそういう話はしないので、ちょっと話しにくかったけど…
娘の話をすることで、旦那が嫌な思いをしないか心配しつつだから、気疲れしたわ
私自身、緩和ケアを選択した時に延命治療をしないって、どういうことか理解しきれてなかった
こうして、いろんな方のブログを読んで理解できるようになったし
もっと、こうしていればと言うのも出てきた
後悔ばかり
でも、正解ってないと思う
その時はその時で、必死に考えてるはず
そうそう人の死に目に合うわけではない
身近な身内を失くすってそんなにない
だから、正解なんてわからない
回数こなしてるわけではないし
お母様が亡くなる数日前の画像を見せられた
もちろん、私に見せるのは…
って前置きしつつも見せられた
娘ではなく、私の祖父に重なった
精一杯生ききったよって顔をしてた
あくまでも私が感じただけ…
何歳で亡くなっても尊い命
一緒に過ごしてきた人なら年齢は関係ないのかもしれない
上司にとったら、たった1人の母親
常に自分の味方であった母親
お母様はお母様で1人置いていく子どもが心配だったと思う
ても、思いつつも逆縁は避けたかったと思う
それに比べたら、私の母は自分の両親を看取っても淡々としてた
逆縁でなく看取ることができたことに、ホッとしているようだった
ひと、それぞれよね
帰宅してから、勢いにのって仕事に行ってきた
忙しい時期なので飛び込み出勤OK
そのおかげか、上司に娘の話をしたことを忘れることができた
やっぱり、しんどかったのかな
今日になって、グッタリだ
でも、家族を亡くしたばかりのときは話を聞いてあげることしかできないから
私もそうしてもらえたから救われたからね
明日からがんばるぞー