自分が面白いと感じたことは何でも取り入れれば良い。
その面白いと感じる内容が、自分自身の経験値や意識レベルに応じて必ず変化していくものである。
興味がなくなれば、やめればいい。
なので極力、興味が喪失した時にはやめれる状態をつくっておくことが重要である。
だが、人生には一度決めた以上、簡単には投げ出せないことだってある。
それを、決断と呼ぶのだと私は考えます。
選択したことに対しては、ダメだとか、面白くない、飽きたと感じれば、
見切りをつけてやめることを重要と考え、決断したことに関しては、簡単には放り投げずに継続していくことが重要と考えるが、
決断したことに囚われて苦しみ続けたり、決断した自分自身に頑固な姿勢を継続して、結果や光が見えてこないのなら、
それはそれで、やめる意志や勇気も英断である。
賛否両論あるかも知れないが、要は、簡単にやめれる環境があることによって簡単に始められるのである。
その、簡単に放り投げれる環境というのは与えられるものではなく、自分自身の状況を見極めたり、意識のコントロール、外圧に耐えうる強さが必要である。
周囲の目を気にして生きていくことを最優先事項として生きている人には、この発想を理解するのは難しいかもしれないが、
周囲の反応など自然災害みたいな部分があり、予定通り雷が落ちたり、
予測できないタイミングで地震が起きたりもすれば、台風が過ぎ去った後の晴れ空が訪れたりするものである。
私が言いたいのは、絶対に守るべき部分と最悪失っても構わないという部分を自分の中で明確に線をひくことである。
人間に経験できる回数や時間というものには限りがある。
世の中や身の回りで起こることに対して、経験から判断するには人間が経験できる量というのは少なすぎるのである。
矛盾しているようだが、経験したことから判断するのはとても重要なことである。
なので、経験値というコップの中に入れる中身はとても重要なことなのだ。
大半のことは独学でも誰かから教えてもらうことでも良いので正しい知識を身につけて、
想像力と独創性を身につけていけば経験すべきことと、経験しなくてもよいことが見えてくる。
私が考える経験すべきこととは、失敗である。
失敗だけは経験しないと分からない。
だから、できるだけ質の高い失敗を追及していくことが重要である。
だが、人生を棒に振るような失敗は避けたいものであるが、その境界線となるギリギリの失敗が、
自身の後の人生において大きな分岐点になったるすることも少なくない。
考え方によっては本当に棒に振ってしまうこともあるかもしれないので、多少のリスクを背負うことにはなるが、
失敗を恐れないことと、もし失敗したときはそのときに反省を行って前向きに今後の成長材料にすることが質の高い経験である。
誤解を生む言い方ではあるが、人間としての究極の価値は質の高い失敗をどれだけしたかということであり、
そのためには、自分自身が健康でいることがいかに必要不可欠だというだ。