こんにちは、みさきです。
みなさんは、パチンコ業界の歴史を知っていますか?笑
いや私も知らなかったんですけどね笑
この前業界の話を取り上げたときに、やっぱりそういうコラム系って人気なのかなーって思って今回またコラム系を更新しようかなって思った次第です笑
簡単に自己紹介すると私は普段都内でOLをしていて、パチスロで本業以上の収入を稼いでいます。
プロを名乗れるほど通ってるわけでもないですが、多いときで週に3~4回、平均週に1回くらいは打ちに行ってます。
それではいってみましょう!
このブログはこんな人にオススメ!
✔パチンコ、パチスロについて知りたい人
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この記事を読むとこのようなことがわかる!
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目次
- パチンコのルーツ
- 戦後からかなり普及していった
- そして現在のスロットへ
パチンコのルーツ
早速起源の話に行きたいんですけど、現在のパチンコのルーツは諸説あります。
かつては、大正時代に欧米から輸入された「コリントゲーム」や「バガテル」といったゲーム機が原点といわれていました。上の画像みたいなやつですね!
最近では、上の画像のような横に寝ている仕様ではなく、パチンコのように縦型のゲーム機が欧州各地に点在していたことが分かり、こちらをルーツとする考え方がメインになってます。
こうしたゲーム機を露店商が扱い、縁日などに置いたことがパチンコ業の始まりです。今ではめっきり見なくなってしまったのが悲しいですね笑
昭和に入ると一銭銅貨をはじくタイプの遊技機が人気で、実際のお金を使ってやっていましたが皇室の御紋の入った硬貨を遊技に使用するのは良くないという理由で禁止令が出されるくらい人気だったそうです笑
今度は模擬硬貨としてメダルを使うものや、玉を直接入れて遊ぶ遊技機に変化。またアメや駄菓子といった子供向けの景品がタバコなどに変化したことで大人にも好まれるようになりました。
ですが太平洋戦争に突入してからは、「不要不急の産業」として禁止する風潮が強くなってきます。まあいうても娯楽ですからね・・・
金属を家庭からも回収された時代ですので、パチンコ玉なども当然のように回収され、営業したくてもできない状態ということですね。
戦後からかなり普及していった
戦争が終わってからは、農村部などに残っていた戦前の遊技機を改造して営業するところからスタートします。
昭和20年代の半ばには、今でも「パチンコの神様」といわれる正村竹一氏が、現在のパチンコの基本となる画期的な釘配列「正村ゲージ」を考案しました。(上の画像)
それまでのバラ釘と呼ばれる釘配列の間を玉がコトコトと落ちていくパチンコ機が一変し、スリルと意外性という遊びとしての面白さが増した結果、第一次パチンコブームと呼ばれ業界が盛り上がっていきました。
さらに、昭和20年代の後半には、玉をひとつずつ入れてハンドルを弾く単発式から、現在のような玉皿から自動的に玉が送り込まれる連発式が登場!
この時の連発式は、1分間に140〜160個の玉を発射できることなどからパチンコブームはさらに加速し、最盛期には全国に4万5,000軒以上のパチンコ店ができました。
この連発式の登場によってパチンコ自体の射幸性も跳ね上がりました。
その結果、プレイヤーが大量に獲得した賞品を路上などで買い取る通称「バイ人」がホールの回りをうろつくようになりました。さらに、一度に負ける金額が多くなったことなどで社会的な批判が高まり、昭和29年にこの連発式には禁止措置が打ち出されてしまいます。
さらに翌30年4月からは、旧来の単発式による営業が強いられ、全国のホールの軒数は一気に1万軒を割り込んでしまいます。
当時のパチンコ機メーカーは、こうした反省を踏まえて射幸性に頼らない遊技機の開発に乗り出したそうで、昭和30年代にはジンミットやチューリップといった遊びのアクセントとなる「ヤクモノ」と呼ばれるものが製作されました。
そして、昭和30年代の雀球、40年頃には今のパチスロ機の原型となる「オリンピアマシン」など、新タイプの遊技機が登場します。さらにこの頃には、玉貸機や玉の補給装置といった省力化機器の発達が後押しし、店舗の大型化も進行しました。
閉店した郊外のボーリング場が続々とホールに切り替わったという話もあったそうです。
これを機に、ホールも当時の流れに反応して郊外型店舗を伸張させていきます。
並行して、電動ハンドルや電子基板の搭載など、社会的なエレクトロニクス化の動きも一早く取り入れました。しかしこうした努力を行っても、連発式の禁止後のホール軒数は20数年の長きに渡って1万軒前後で推移するという状態が続いたままだったそうです。
そして現在のパチンコ、スロットへ
こうした状況を打破したのが、昭和55(1980)年に登場した「フィーバー機」!
社会の経済発展に連動するかたちで射幸性もあがり、その後、年間で数百軒ずつホールが増えるという空前のブームを作り出します。昭和56(1981)年に登場した「ハネ物」もかなりの人気を博したほか、雀球やアレンジボール、さらにはパチスロ機といったように遊技機のバリエーションも増し、大衆娯楽としてめちゃくちゃ発展していきます。
平成に入ってもその好調さは続き、プリペイドカード方式の導入や遊技機へのカラーモニター搭載など技術的な部分もどんどん進化していきました。
その結果、パチンコ市場の規模が現在では30兆円にも達する巨大産業に成長しました。
ですが、プレイヤーののめり込みに起因するホール駐車場での幼児の事故や多重債務問題、さらには変造プリペイドカードの横行などが社会問題になり、行政による規制、そして業界団体による自主規制などが設けられ、規模縮小を余儀なくされたのです。
結果、平成7(1995)年の1万8,000軒をピークに23年連続で減少し、現在のホール数は約1万軒になっています。市場規模も縮小傾向にあります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回はパチンコ業界の歴史について紹介してみました!
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