自分が感じることをそのまま記録しておきたいけどFacebookは違うし、インスタも色んな意味で窮屈なので、やはりアメブロに戻ってきた。
最近思うことがある。
毎日TVから流れてくる、様々なタイプのどちらかというと不祥事に対して、そこに関わる人(犯人的な人含め)皆、元はどこかのお母さんが命懸けで産んだ子供なんだなあと。
ニュースを観ていても、見出しにそれを付け加えてしまう。
注:若干憶測入ってます
どこかのお母さんが命懸けで産んだ息子が、お母さんの作るハンバーグが好きと美味しそうに食べ、うるせーお袋とか言いながらも母の日には肩を揉んでくれたりしながら立派に成長して、大人になったある日、悪巧みで意気投合した仲間と組んで、スポーツ選手宅に空き巣に入る事を計画し、成功するも、人に見られてしまい白い車に乗って,現在も逃走中。とか。
頭に【お母さんが産んだ子供】を追加して物事に向き合うと、いかにこの世が不可思議かがわかる。
『わるい人には気をつけてね』
『わるい人に騙されないように』
『へんな人には気を許したらだめだよ』
『わー、あの人かきもい!』
外に化け物か何かが沢山いるかの様なニュアンスだが、皆、我々と同じく、どこかのお母さんが命懸けで産んだ子供たちなのだ。同じ人間。
てか、わるい人ってだれ??(へんな人、きもい人も同様)
もし、わるい人が特定したとして、その人を産んだお母さんは『あんたはわるい人だから、頼むから、人を騙さないように』とは余程のことが無い限り、言わないし思わないだろう。
同じ人間が人間に対して、勧善懲悪の漫画や小説に出てくる化け物や敵みたいに、人が人を疎ましがったり疑ったりしないといけないのは、何故だ。
周りも本人も自分の正義をかざして、自分以外の人間のみを『悪』とみなして、ずっと戦っている。
地球は、こんないびつな事が普通とされている。考えれば考えるほど不思議な星だと感じる。
まあ、、、私はまだ誰も産んだ事がないけどね。
