将来のことでよく不安になることはどんなことですか??

私の場合は

家族や大切な人の病気・死・別れ

と出てきました。

何が嫌なのかって
やっぱり
失うこと、目の前からいなくなってしまうことが
寂しいし悲しいし。
苦しい姿を見たくないし。
そう。
悲しい思いをしたくない

いつからか私の中で

悲しみ=悪

感じてはいけないものになっていました。
悲しみは感じたくないっていう
悲しみに対してのブロックが根強い。


それに

“何もしてあげられなかった”

と後悔したくない。
(つまり今現在何もしてあげられていないと思ってる。)

いつから?
なんで?って考えてみたら
小学6年生の時の事を思い出しました。

小学6年生の冬、学校から帰ると
母からインコのピーちゃんがいなくなったと。

ピーちゃんは私が泣けなしのお小遣いで
自分で大切に飼うと決めてヒナからお出迎えした大切なインコ🦜♂
だからすごく懐いてくれてて
名前を呼んだらすぐに飛んできてくれるし
学校に行く時も玄関までいつもついてきてた。
学校以外一日中ずっと一緒だった。


そんな大好きなピーちゃんと
ある日突然のお別れ。


母が外で洗濯物を干している時に
肩に乗せていて(大人しいから普段なら何事もなかった)
その時部屋にいたもう一羽のきいちゃん♀の泣き声に反応して遠くへ飛んでいってしまったそう。

家に帰っていなくなったと聞いた瞬間、もうかなり時間も経ってたけどそんなこと構わず探しに行った

名前を呼んでも見つからなくて
カラスに食べられちゃった?
寒いよね、凍えてないかな?って
子どもながらにものすごく心配して。

結局見つからず、お家でずっと泣き、お風呂でも泣き、ご飯も食べれず泣き、外に出した母を責めました。

あのときもっと可愛がってあげられていたら
もっともっと優しくしてあげられていたら

とか

その時悲しみと同時に色んな
“◯◯しとけばよかった”
 が私の中にでてきたんだと思う。

後悔ってなんだろうね?
もう後悔って言葉は使うのをやめようと思う。

「嫌だった出来事•悲しかった出来事」で終わらせるんじゃなくて、この出来事をちゃんと意味のあることに変えてあげよう。

小学6年生の時の私は少なからず未熟で
生き物の大切さとか尊さとかまだ全然分かっていなかったと思う。
“死”とか”別れ”とかも。

ピーちゃんのおかげで、私は初めて命の大切さに気づけたし大切な存在との別れの悲しさを経験できた。
この出来事に意味を与えるならきっとそう。
小学6年生の未熟だった私に大切なことを教えてくれた。

自分の中の

「大切だなぁ」
「大好きだなぁ」
「愛しいなぁ」

っていう感情が拡大された。

“もっと〇〇してあげればよかった”
そう考えたらしてあげたかったことなんて
たくさん出てくる。

だけどあの時の私は私なりにあの時できる精一杯の愛情をかけた。できることをした。
そんな自分を許し、この出来事をあってよかった
と感謝できたとき、悲しみは悪ではないと心から思えた。

“〇〇してあげればよかった”
もしそう思うことがあったら
起きた出来事の意味を考えてみてください。
あなたはきっとその時のあなたなりのベストを尽くしたはず。