おはようございます、こんにちは、こんばんは!
yui-yuiです!٩(ˊᗜˋ*)و
表題の通り、というか、新劇場版を一気見しました!
いや、旧劇場版のDEATH(TRUE)²とAir / まごころを、君に、も見ました。
TV版は全部見て、旧劇場版、新劇場版も破までは見ていたんですが、Qから急に食傷気味になりましてね……というか、正直、序もあまり見る気なかったんですけど。
TV版、いわゆる旧劇場版あたりでもうお腹いっぱいになってきちゃって、興味はなかったんですよね。
こういう演出とか、いわゆるエロスを混ぜてみたりとか、今はまぁ色々な演出方法があって、そのうちの最初の一つだったのかもしれないんですが……。
それでもまぁなにかの拍子にそう言えばエヴァンゲリオンってどうなったんだっけ?
と思って、旧劇場版のシト新生以外は見なおしました。
庵野監督は、あの中途半端な、未完のTV版から何十年も引きずり続けてきて、最終的にコレがやりたかったの?
って、わたし個人的には感じた作品でした。
無意味にエログロ描写がなくなったのは良かった。
レイが何も判っていない所から学んで行くのは序、破からのやり直し感。
アスカがさばさばしてすっきりした性格なのが良かった。
マリはなんでいるのか正直意味判らんかった。
14年すっ飛ばしたあとの、最後なし崩しに普通に戻った態度とか呼び方とか話し方とか、シンジ君と視聴者をちょっと混乱に導きたいだけの演出で、説明ないから艦隊ゴッコしてるだけ?
とか思っちゃったな。
混乱に招いたまま、今までどうしていて、どうなって、こうなった、という説明はなーんいもないw
なんだかエヴァンゲリオンを見ていると、(これは的外れでわたしがおかしなことを言っているのは百も承知で、わたしが異常なんだけれど)
「不慣れな奴ほど奇を衒う」
を感じるの、すごく。
エヴァンゲリオンという作品に対して、庵野監督が不慣れな訳がないので、自分で言っててもオカシナことは判ってるんですよ。
でも、着地点や筋立てがふらふらしてて、でも変わったことをやらなくちゃ!視聴者を驚かせなくちゃ!をすごく感じていて、それが大筋、本筋かの芯喰ってない感じ?
マリが良い例だと思うんですが……。
キャラクターとしては嫌いじゃないんですけれどね。
でも、TV版中途半端で、二回も旧劇場版でやり直して、更に新劇場版、シン、とやり直して、これ!?
って思ったのが正直なところ。
(´・ω・`;)
どこかで読み齧ったんだけれど、庵野監督が「エヴァンゲリオンは子供が父親から母親を寝取る話」みたいなことを言っていらして、その当時は新劇場版、序あたりだったかなぁ、時期は覚えていないんですが……。
シンジ君とレイが結ばれるまでは行かなくとも、レイがゲンドウさんから自立する、という部分を切り取って言っていたんでしょうね。
新劇場版?とシンは違いましたけれど。
あれだけやってなんでレイと結ばれなかったんやろな?w
まぁそれはそれとしたって、カヲル君とレイ、シンジ君とマリとか謎過ぎるんだが?
ここでも奇を衒っただけなんだろうなぁ、って思っちゃったのよ。
そうね、訂正します。
不慣れな奴ほど、ではなくて、「奇を衒いたいだけ」に見えてしまう。
だってQの終り、シンの予告であった、あの半分弐号機と半分八号機はどうしたのよw
結局出てこなくて、途中で「これじゃないや」、ってなったの見え見えじゃないw
あ、こっちもダブルエントリーするのね、と思ったら全然ねーし!
(゚Д゚;)
そういう製作体制でやってるのが見えちゃったから、大筋も本筋も芯もくそもあったもんじゃない創り方してたんだろうな、ってね、思っちゃうわよね。
事実は違うとしても。
序、破の時点で14年後って考えてたのかなー。
まぁわたしは考えてなかったと思うけどね、Q公開までだいぶ時間開いたもんね、確か。
それに三部作ってどこかで聞いていた気もするのよ。
そこはわたしの勘違いかもしれないし、まぁ調べる気もないけれどもw
でね!
結局、旧も新劇場版もシンも、帰結している部分というと、ゲンドウさんが最後の最後でシンジ君に
「すまなかったな、シンジ」
って言うところなのかな、って思うのよね。
この台詞ってTV版にもあったのかしら。TV版の最終話とかタイクツで見てられないのよね……。
(´・ω・`;)
だからそう考えると、まごころを、君に。で終わっときゃ良かったんじゃないの、という感じは、しなくもない。
あれはあれで、その後どうなった!?
はあるにはあるけれど、シンほど「はぁ!?」はなかったもの。
正直、世界が滅ぶまでのプロセスや設定なんかは、自己満足が過ぎて何一つ頭に入らなかったし、それっぽい難しい言葉ならべただけじゃん。
結局、シンジ君、レイ(そっくりさん)、アスカ、それにケンスケ君にトウジ君、ヒカリちゃんとのやり取りが印象に残る感じだった。
そこは、あのシーンの描写は、素敵だと思ったけれど(シンジ君立ち直るまではいらいらしたけどw)、まぁあたたかなシーンの後に……っていうのもお約束で、予定調和というか……。
破とシンは焼き直し感もあったね。
そっくりさん、無駄死にやったな。
あれは悲しかった……。
でもそれを言っちゃうと加持さんとミサトさんの息子の件とか要らなかったと思うし、誰を納得させたくてこのシーン入れたんやろな?っていうのはアチコチに感じたわ。
TVや旧劇場版で加持さんをやったのは誰なんだ!みたいなのも全くなかったしw
シン・ゴジラ、シン・ウルトラマン、シン・仮面ライダーと庵野監督の作品を立て続けに見たけれど、純粋に楽しめたのはシン・ゴジラだけでした。
個人的には。
基本的に庵野監督の作品は合わないんでしょうね、わたし。
(´・ω・`;)
シン・ウルトラマンは比較的面白かったけれど、文句たれてたしな、わたしw
でも世間一般が言う、天才ゆえの難解さ、というのは庵野作品に感じたことはないです。
まぁそれは新海監督にも細田監督にも感じますが。
当たり前のことですが、彼等は商業の監督ですからね。
本当に彼らの中に潜む芸術性だけを煮出して発信したら、それこそ天才ゆえの難解というか、ド変態な作品になるでしょうけれど、それでは商売にならないでしょうから。
あれなんだっけ、宮崎監督の「君たちはどう生きるか」がそんな感じしてる。
見てないけどw
まぁ見てもいない作品のことは語れないので、語りません。
でもまぁ、新世紀エヴァンゲリオン、TV版、旧劇場版、新劇場版、シン。
わたしとしては、満足できない終り方でした。
以上!
では、また!(๑˃̵ᴗ˂̵)و